ゲルハルト・ベルガー [Gerhard BERGER]
1959年8月27日生まれ、オーストリア出身
F1通算出走210回、優勝10回、PP12回、FL21回、総獲得ポイント385、
ベストランキング 3位(1988年・1994年)
1987年日本GPでのフェラーリの38戦ぶりの勝利、 1988年イタリアGPではマクラーレン・ホンダのパーフェクトを阻止する優勝、 1991年日本GPでは、以降10年間破られなかった予選レコードを樹立、 1992年オーストラリアGPでの第2期ホンダ最後の勝利、 1994年ドイツGPではまたもやフェラーリに4年ぶりの勝利をもたらす…。 ベルガーは記録よりも記憶に残るレーサーだった。
私生活では、フジテレビの女性アナウンサーにアプローチ?したり、いたずら好きだったり…。
【予選対決】 上のデータから、速さではベルガーはプロストやマンセルと同等かそれ以上、 マクラーレンでのセナとの比較でも、平均するとプロストよりもセナに勝利していて、 さらにその長身からセナ用の狭いコックピットに悩まされていたことなどを考えると、 本来ならもっとセナに接近していたのかもしれない。 特に高速コース・高速コーナーでの速さは絶品であった。 セナとは1990年からチームメートになる。常に勝利を求めて自分にも周囲の人にも厳しかったセナには、 サーキット内の友人が少ないとも言われていたが、ベルガーの、正直で裏切らない、真摯な人柄をセナはすぐに受け入れ、 チームメートから親友の関係へと変わっていった。 実は、セナとベルガーの友情は1983年F3のマカオGPにまでさかのぼる。 セナがFLを記録していたにもかかわらず、 何らかの手違い・誤解が生じ、ベルガーにFLが記録されていたのだ。 ベルガーは自分がFLを記録したのではなく、セナであると正直に訴える。 このことによってセナの中にベルガーへの好意が生まれたとも考えられている。 チャンピオンにはなれなかったが、マンセルらと共にグランプリを盛り上げ、時として主役に踊り出る…。 土壇場に強く、記憶に残ると言うことは、速さと共に「真の強さ」を兼ね備えていたからに他ならない。
現在、ベルガーはBMWのスタッフとしてしばしばテレビ映像にも登場している。 |