2003年日本GP 最終戦…そして2004年へ終わってみればM・シューマッハーが史上最多の6度目の王座を決めた。 まずはシューマッハーとシューマッハーファンの方々に、「おめでとう!」レギュレーションの大幅な変更、序盤のつまずき、夏場の失速など、 ここ数年にない苦戦を強いられたが、最後には自力の差で「さすが」といった感じだった。 過去2年間よりも混戦になり優勝回数などは減ったが、その分価値のある王座だったのではないだろうか。 ただ今回のレースでは、順位だけではなく度重なる無理な走りや露骨なブロックなど、 決してハイレベルな走りではなかったと思う。 年間を通しても、母の死を乗り越えたサンマリノGPや火災の恐怖に打ち勝ったオーストリアGPなど、 素晴らしいレースもいくつかあったが、 全体的に見れば、あまり凄みを感じられなかったような気もする。 その一方でライコネンやモントーヤ、アロンソといった若い力が着実に成長し、 シューマッハーを追い詰めるまでになった。 ライコネンはおかれた環境下で考えられるベストな走り・結果を残したと思う。 モントーヤは中盤に激しく追い上げたが、最後の最後で詰めが甘かったか。 アロンソは才能溢れる走りでしばしば上位に顔を並べた。 また、自分が日本人ということを差し引いても、佐藤琢磨の走りは素晴らしかったと思う。 いきなりの参戦で、常に攻めの姿勢で、かつ、しっかりと結果を残した。 世界的にも評価がかなり上がったのではないか。 仕事をしたという意味ではバリチェロの功績も大きかった。 バリチェロの優勝がなければ、大逆転王座もあり得た。 走りも年々シューマッハーに近づき、しばし前を走るようになってきた。 これが年間通して安定的に力を発揮できるようになれば、かなりおもしろい存在になりそうだ。 若手の台頭、ジャパンパワーの活躍、拮抗するチーム戦力図… 早くも来シーズンが楽しみになってきた。 そして2004年はセナ没後10年…。 色褪せぬセナの想い出を胸に、セナの愛したF1を私たちも見続けていきたい。
2003年アメリカGP チャンピオンへ王手目まぐるしく変わる複雑なコンディションの中、M・シューマッハーが優勝しチャンピオンに王手をかけた。雨の降り始めにはミシュラン勢に比べてシューマッハーのペースが落ちたが、 雨が本降りになると、ブリヂストンのレインタイヤの威力が発揮された。 中盤のシューマッハーの追い上げはタイヤによるところが大きいとは思うが、 荒れたレースをミスなしで走り切った彼の集中力、マシンコントロールも見事だった。 一方のモントーヤは結果的にチャンピオンへの望みをなくしてしまった。 バリチェロと接触しリタイアに追い込み、さらにペナルティーまで受けているのだから、 過度に攻め過ぎたと言えるかもしれないし、決して褒められることではないのかもしれない。 しかし彼の走りからは最近のF1にはなかった新鮮な「レーサー魂」を感じる。 今は「危険」と言われるかもしれないが、年月と経験を積むことによって、 速さと強さ、攻撃と防御のバランスを身に付け、優れたレーサーになっていってほしい。 もしも雨が降らなければ、おそらくライコネンが優勝していたことだろう。 ライコネンはなんとか2位に入り、首の皮1枚残してチャンピオン争いを鈴鹿まで持ち込んだ。 ライコネンがチャンピオンになるためには、 ライコネンが優勝してシューマッハーがノーポイントの場合のみになった。 大逆転王座は極めて可能性は低いとは思うが、逆にライコネンにとってはかえってやりやすいかもしれない。 彼には小細工なしにただ優勝に向かって走っていくだけだからだ。 シューマッハーもあくまで「勝ちに行く」とは言うものの、 一瞬でも後ろ向きに妥協して1ポイントを確実に取ろうという思いが彼の思考に駆け巡ったとき、 思わぬミスをするかもしれない。プレッシャーはむしろシューマッハーの方にあるような気がする。 いずれにしても次の鈴鹿ですべてが決まる。 チャンピオン争いもそうだが、全ドライバー、全チームそれぞれが2003年の集大成として、 素晴らしいレースを見せてほしい。
2003年イタリアGP 王座への執念すべては1周目に決まった…私はそう思う。今回はGP前にミシュランタイヤの問題などが生じた。 またモンツァという特徴的なサーキットゆえ、 空力に優れるフェラーリには有利にはたらいたかもしれない。 しかしそれ以上にM・シューマッハーの気迫が、王座への執念が勝利を導いたのだと思う。 1周目のモントーヤとの攻防は非常に緊迫してたが、同時にとてもクリーンに見えた。 2人とも限界ギリギリの中でうまくマシンを、そして自分自身をコントロールしていたと思う。 しかしほんのわずかだけ、シューマッハーの気迫が勝っていたように思う。 1周目の攻防を終えモントーヤは、この日のシューマッハーにはかなわないのではないかという思いが、 もしかしたらよぎったのかもしれない。 シューマッハーの1周目には敵の戦意を消失させるほどの気迫があったと思う。 上位陣は大きな混乱なくほぼ順当にレースを終えた。 チャンピオンシップを争う3人はそれぞれ少しずつ点差が開いてしまったが、 まだまだ逆転圏内である。
残りは2戦…。
2003年ハンガリーGP アロンソ史上最年少優勝アロンソがPPからそのまま他を寄せ付けない走りで優勝した。 もちろん、序盤に2番手を走っていたウェバーが後続を押さえ込んで走っていたのという要因もあったが、 それ以上にアロンソ自身の走りは素晴らしかったと思う。 M・シューマッハーをも周回遅れにした独走は、85年のポルトガルGPで初優勝を飾ったセナを思い出した。 史上最年少優勝ということで、これからの活躍が楽しみだ。チャンピオン争いでは、ライコネンの2位とモントーヤの3位はほぼ無難に順当なレースをしたと思う。 問題はM・シューマッハーだ。 シューマッハーはまたしても予選で後方グリッドに沈み、このことが結局決勝レースにも響いた。 チームメイトのバリチェロには3戦連続で予選で敗れ、それもすべて厘差ではなく0.5秒前後も離されている。 シューマッハーは中盤に来てマシンを乗りこなせていないような気がする。 これでバリチェロも遅いようならマシンやタイヤの問題も考えられるが、 ここ数戦のバリチェロを見ているとそうとも思えない。 レース序盤で不運なアクシンデントによりリタイアしているものの、 走り自体は決して悪くない。 フェラーリのマシンやブリヂストンタイヤには大きな欠陥はないと思う。 あとはいかにこのマシンをセットアップしていくか…。 シューマッハー72点、モントーヤ71点、ライコネン70点… もう点差はないに等しい。 テストも解禁になり、次のイタリアGPでは再び流れが変わる可能性がある。 シューマッハーが巻き返すか、モントーヤがこのままの勢いで行くか、ライコネンが苦しみながら踏ん張るか… 三者三様の白熱したレースに期待したい。
2003年ドイツGP モントーヤ完勝モントーヤが予選から決勝まで他に有無を言わさないような素晴らしい走りを見せた。 モントーヤの走りは、マクラーレン・ホンダ全盛時代のセナとだぶって見えるほど圧倒的なものだった。 ポイントもM・シューマッハーに6点差の2位に浮上し、 名実ともに打倒シューマッハー1番手の地位を確立した感がある。その一方でチャンピオンに可能性のあるR・シューマッハー、バリチェロ、ライコネンは、 スタート直後の多重事故であっけなく消えた。 あえて言えば、R・シューマッハーが後方をよく確認せずに安易にラインを左に寄せたことが 事故の原因になるだろうが、私はレーシング・アクシデントの範疇であると考える。 あれもまたレース。これで次戦の予選順位が10位も落とされるとすれば、それは少々厳しすぎるような気がする。 ポイントリーダーであるM・シューマッハーは、タイヤバーストはともかく、 ポイント的には途中までは苦しみながらも考えられる最高の走りをしていた。 特にトゥルーリを抜いた場面では多くのファンが彼の走りに感動を覚えたことだろう。 (コースに一度外れてから割り込んできて、少々強引だったような気もするが…。) しかし逆に考えると、あのように強引なまでにしなければ オーバーテイクできなかったこと自体に問題があると私は考える。 金曜日のフリー走行を除いて、シューマッハーはチームメイトのバリチェロにずっと後れを取っていた。 正確には、それはイギリスGPから続いているとも言えるかもしれない。 もしバリチェロが何の問題もなくレースを最後まで走りきれていたら、 最速のウイリアムズに続いていたのはバリチェロだっただろう。 作戦の違いを差し引いても、 シューマッハー以上にバリチェロの方がマシンを乗りこなしていたような感がある。 もしルノーの後ろについても、バリチェロならば簡単にオーバーテイクできたのではないか、と思うのだ。 フェラーリF2003-GAは、セッティングの幅が小さいようだ。 一度セッティングが決まれば、タイヤがジャストフィットすれば、 再びサーキットを最速で駆け抜ける可能性もあるだろう。 チャンピオンシップの行方は、シューマッハーのドライビングと言うより、 セッティング能力にかかっているとも言えるかもしれない。
2003年カナダGP 接近戦シーズンの折り返しの第8戦にて、M・シューマッハーが優勝して、ついにポイントリーダーに躍り出た。 しかし決して楽勝ではなく、むしろレースの大部分ではウイリアムズのほうが速かった。 シューマッハー自身のドライバーとしての腕を示した形になったが、 逆の見方をすればフェラーリにはここ数年有していた絶対的な速さがないということになる。一方のポイントリーダーを奪われた形になったライコネンは、予選での失敗がすべてであった。 さすがに決勝ではそれなりの走りを見せ入賞まで食い込んだが、 もしも予選で上位につけていればと思うと、やはりもったいない感がある。 予選でのミスはこれで2回目。またPPもいいところまでいきながらまだ獲得していない。 一発の予選は苦手なのか?(決勝重視なのかもしれないが) ライコネンがこの後チャンピオンシップを戦っていく上で、 この予選は一つの課題なのかもしれない。 技術的な面では、ここ数年、特に今年に入ってから改めてタイヤの重要性が大きいことに気がつく。 ウイリアムズの短期間での復活もミシュランタイヤによるところが大きいと思われる。 しかしブリヂストンも黙ってはいないだろう。 ひと度フェラーリにジャストフィットするタイヤを開発するなんてことがあれば、 逆にフェラーリの絶対的優位が築かれるかもしれない。 いずれにしても前半戦はポイント的にも実力的にもここ数年では見られないような接近戦だった。 チャンピオン争いをするシューマッハーとライコネンに、復調したウイリアムズ勢が加わり、 さらに速さと安定感があるアロンソも絡んでくる…。 後半戦はこの勢力図がどのように変化していくのか?
2003年モナコGP 若手の走りモントーヤが集中力を切らすことなく最後まで狭いモナコのコースを走りきった。 ライコネンも攻めの姿勢を忘れず、ファイナルラップまでモントーヤにプレッシャーを与え続けた。 またアロンソも予選8位から、スタートでバリチェロとクルサード、 ピットストップでトゥルーリを出し抜き、5位に滑り込んだ。 次代を担うであろう若いドライバー達がそれぞれの状況の中で安定感ある攻めの走りをしたと思う。一方のM・シューマッハーはピットイン直前や終盤になって炎のようなラップを刻み、 さすがといったところを見せ付けたが、全体的に見ればバリチェロと共に不本意なレースであっただろう。 バリチェロに至っては見せ場さえも作ることなくレースを終えてしまったという印象がある。 これはおそらく、ピット戦略の読み間違い(含・予選順位)と、ブリヂストンタイヤのパフォーマンス、 さらにはフェラーリのマシン自体もここモナコに関してはそれほど合っていなかったのかもしれない。 いずれにしても、昨年勝つことができなかったモナコで、 今年もフェラーリは主役に躍り出ることはできなかった。
様々な批判が出ている今年のフジテレビ地上波中継。 放送形態については私もいろいろと意見したいこともあるが、 永井大氏、山田優氏の新キャスター陣についてはそれぞれ勉強してがんばっていると感じた。
2003年オーストリアGP 価値ある1勝M・シューマッハーが素晴らしい仕事をして貴重な優勝をものにした。ここまでなぜか相性の悪いオーストリア。 不運なアクシデントやトラブルだけでなく、 予選対決ではバリチェロに1勝2敗と負け越していて、 決勝でもチームメイトに譲られたと思われるレースが過去3度もある。 昨年はゴール直前でチームオーダーによってバリチェロに優勝を譲られた形になり、 フェラーリファンからもブーイングが起きたほどだった。 しかし今年のシューマッハーは勝利に値した素晴らしい走りだったと思う。 給油火災にもひるまず、全力で走り続けたその姿勢には改めてその強さを感じた。 またシューマッハーの「勇気」とともに、フェラーリのピットクルーの迅速な対応は賞賛に値する。 レース中の給油が復活してから10シーズン目を迎えて、 今まで大きな火災が発生したのは1994年のドイツGPだけだったと記憶している。 そんな確率的には10年に1度程度しか発生しないと思われる給油時での火災に対して、 ピットの消火器係は慌てず自分の仕事を全うした。 フェラーリの強さはこんなところにも隠されているのかもしれない。 ライコネンも現状のマクラーレンの戦闘力を考えれば、最高の仕事をしたと思う。 シューマッハーには届かなかったものの、バリチェロの猛追を振り切り、きっちりと2位8ポイントを獲得した。 ニューマシン MP4/18 が登場するまでは、このように我慢のレースが続くだろうが、 今年からの新ポイント制を生かして、この苦しい時期を乗り越えていってほしい。 もうひとりの注目株のアロンソは、今回は予選からあまりいいところを見せられずレースを終えた。 決勝レースで最後列から入賞圏内まで上がってきたのは見事だったが、 今回は予選・決勝を通じて少し果敢に攻めすぎたか? でもこのような経験を積むことにより、自分自身の限界を知ることができ、 攻めと守りの絶妙なバランスを得てさらなる飛躍をしていくのだろうと思う。 次戦はモナコ。新しい世代の才能溢れるドライバーも増えてきて、 今年はどんなストリート・バトルが見られるのか、期待したい。
2003年スペインGP アロンソの実力M・シューマッハーが連勝を飾った。このことはライコネンとのポイント差が縮まったこと以上に、 フェラーリ・シューマッハーが本来のペースを取り戻したという点で大きな勝利だったと思う。 開幕からイマイチ波に乗り切れなかったが、 一気に形勢は逆転して、昨年のような快進撃に転じる可能性が高い。 しかし私は、今回のレースでフェラーリとシューマッハーには「凄み」を感じることができなかった。フェラーリは新車F2003-GAを投入した。革新的なマシンとして前評判も高かったが、 このレースでは周囲の期待ほどの絶対的な強さ・速さは見られなかったような気がする。 もちろん、フェラーリは多少のスピードを犠牲にして耐久性を重視したセッティングにしたのかもしれないし、 シューマッハーも必要最低限にペースを抑えてレースを走り切ることに専念したのかもしれない。 フェラーリの新車の真のポテンシャルを知るには、もう数レースを見てみる必要があるだろう。 しかしその一方で、もしかしたらアロンソの活躍がフェラーリをも霞めさせたのかもしれない。 アロンソは地元であるというプレッシャーを自らの力に変え、素晴らしい走りを見せてくれた。 アロンソは多くの周回でシューマッハーよりも速いペースで走っていた。 シューマッハーとの差が開いてしまった要因は、 周回遅れやR・シューマッハーなどの「見かけ上のライバル」との攻防でタイムロスが大きかったこと。 もちろん、ルノーはフェラーリと比べたら純粋なスピードでは劣るため、 それだけ処理には時間がかかるのは仕方のないことなのだが、 このタイムロスを最小限に食い止め常にシューマッハーから3秒差くらいでプレッシャーを与え続けていれば、 フェラーリの技術的トラブル、シューマッハーの人為的ミス等を誘い出せたかもしれない。 しかしそれでも、常に攻撃的で、かつ安定感があったアロンソの走りは、 改めて彼のポテンシャルの高さを実感させた。 私はアロンソには、モントーヤやライコネン程の強烈なインパクトは感じていなかったが、 それでもアロンソは十分に速く、そして安定感がある…。 「もしかしたらアロンソはプロストタイプのドライバーなのかな」、ふとそう感じた。 次代を担うと思われるライコネンとモントーヤとアロンソ…。 私は一瞬、彼らの走りをセナ、マンセル、プロストにだぶらせた。 もちろん相違点はたくさんあるし、まだまだ先人達ほど洗練されていないが、 このまま順調にキャリアを積めば'00年代中盤は彼等により今以上に白熱したレースが見られるだろうと思う。 いや、彼等の時代は実はもう、すぐそこに来ているのかもしれない…。
2003年サンマリノGP 母に捧げるレース決勝日の朝、シューマッハー兄弟の母・エリザベスさんが亡くなった。 ミハエルは開幕以来思わぬつまずきがあり、 チャンピオンシップのためには絶対に落とせないレースだったが、 最愛の母の死はそんなプレッシャーを越えて、 自らと格闘した末に母に捧げる勝利のための「執念」に変わっていったと思う。ミハエルもラルフも素晴らしいレースをしたと思う。 それはレーサーという枠組みを越えて、一人の人間として尊敬に値する。 優勝したミハエルはもちろん、ラルフも現状で考えられる最高の仕事をしたと思う。 シューマッハー兄弟の活躍を、母エリザベスさんは天国から優しく見守っていたはずだ。 レース全体では、マシン的にこのコースにあまり合っていないと思われていたマクラーレンのライコネンが クレバーな走りを見せた。 このレースだけに限って言えば、マクラーレンはフェラーリはもちろん、ウイリアムズにも 劣勢だったように思える。その中で見事な戦略で2位に滑り込んだ。 ライコネンは速さとともに、レース全体の流れを読み取る戦術と強さを身に付けていた。 これからもマシン的に劣勢になるレースもあるだろう。 しかし、そんな状況でもこのレースのように確実に2位、3位を拾っていけば、 チャンピオンも見えてくる。 今年から2位に8点が与えられ、優勝とのポイント差が2点しかない。 今年の新レギュレーションを最も活用しているのがライコネンのようだ。 レースとは別に、フジテレビ地上波のオープニングでの片山右京氏、近藤真彦氏の発言が気になった。
片山右京「シューマッハー自身はセナと違って強い人間…」 言論の自由である。また、放送時間内では伝え切れなかった「真意」もあったのだろうし、 「本当は強くないけど、その中で自分自身に打ち勝ってがんばってきた」 みたいなことを伝えたかったのかもしれない。 しかし、根拠も示さずそう言い切ってしまった彼等の発言に、 セナファンとしては決していい気持ちはしなかった。 私は、セナはとても強く、常に最速だったと理解している。 「速さ」は数字的に表れやすく、セナはPPの数とその走りで己の速さを立証してきたが、 「強さ」という言葉は、とても哲学的で難しい概念だと思う。 私は、セナが「真の強さ」を持っていたレーサー、そして人間だったと思う。 詳しくは セナ・シューマッハー比較 を参考にしていただきたい。 しかし今回は、セナとシューマッハーの「強さ」の相対的比較とは別に、 純粋にシューマッハー兄弟の「強さ」とその仕事ぶりに感動したレースだった。
2003年ブラジルGP 不完全を露呈したレギュレーション今年のブラジルGPは最初から最後まで波乱と混乱の連続だった。 テレビ中継が始まって現地の様子を見ると、大粒の雨が降っていた。 そして今回は安全面という理由から特例として、ウイング等のセッティングの変更が認められたようだ。 安全面を考慮すること自体はとてもよいことだとは思うけれど、 今回だけの「特例」で終わるのか疑問が残る。決勝日に雨が降るなんてことは、これからも何度も起きることだろう。 しかしその度に「特例」を発していたら、 本来、平等で絶対的であるべきはずのレギュレーションの威厳がなくなってしまう。 特例がしばし出されるようなレギュレーションは、根本的に完成度が低いものだと思う。 この場で私は開幕戦からずっと訴え続けてきたが、 やはり予選終了から決勝までのセッティングの変更は認めるべきだと思う。 それは安全面という理由以上に、マシンをコンディションに合わせてセッティングする技術も、 ドライバーの仕事で腕の見せ所でもあると思うからだ。 今のレギュレーションの下では、運やバクチ的な要素が強すぎるし、 いろんなところで妥協しながら予選・決勝を戦わなければならない。 それに一番困惑しているのがM・シューマッハーだろう。 シューマッハーは、今まではより速く走ることに情熱を傾け、 その結果として素晴らしい功績を残してきた。 結果を残すためには、ただ全力でレースに取り組みさえすればよかったのだ。 (それが可能なのは、シューマッハーなど限られた人間だけであることも確かなのだが…) しかし今年のレギュレーション下では、決勝レースを有利に進めるためには 予選である程度妥協する必要も出てきた。 セナがもし現役だったらなおさらだろう。 決勝レースのことを考えて妥協した予選アタックや、 不完全のセッティングでのレースなんてセナは望まない。 ギリギリまで限界を極めていくのがセナの生き方だと思うし、 妥協しながらの生き方なんて、セナの人生哲学に反してしまう…。 今のF1には価値を見出せないのではないかとも思える。 このレースもシューマッハーは自らのミスでレースを終えてしまった。 でも私は、それは彼の衰えだとは思えない。 ただ、今まで成功してきたプライドが新しいレギュレーションを受け入れることができず、 どこか歯車が噛み合わない状態なんだと思う。 レースの最後も混乱で幕を閉じた。 ほんのわずかなタイミングの差でライコネンが優勝を飾ったが、 こうしてみると連勝のライコネンに運が向いているのと同時に、 フィジケラはホントについてないと思わざるを得ない。 フィジケラは、実力的にはシューマッハーに最も近いものを持っていると思うが、 F1キャリアが始まってからずっとここまで運に見放されている感は否めない。 しかし、F1界の「勝利の女神」は心変わりが激しいのもまた事実である…。 ヨーロッパラウンドで勝利の女神に気に入られるドライバーは誰なのか?
2003年マレーシアGP ライコネン初優勝、そして王者は…デビュー当初から将来を期待されていたライコネンが、しっかりと結果を残した。 前戦オーストラリアではスピード違反のペナルティで優勝を逃した形となったが、 勝つべき人は1~2度チャンスを逃しても、いつかは必ず勝つ。 表彰台でのさわやかな笑顔を見て、「コイツは人気・実力とも次代のF1を担っていく」、 そう確信した。また、初PP、初表彰台のアロンソも見事だった。 ルノーの戦略も、レギュレーションが修正されない限りこれからも度々見られることになるだろう。 私は予選と決勝は完全に分けるべきだとは思うが、 マシンで劣るチームがこうして戦略によって好結果を生み出したこと自体には、 素直に素晴らしいことだと思った。 その一方でフェラーリは、またも不本意な結果で終わってしまった。 1周目のM・シューマッハーの接触は混戦の中での出来事で、 ちょっと前なら「レーシング・アクシデント」で片付けられただろう。 あのくらいでペナルティを課するべきではないと思うし、 それほど騒ぎ立てることではないと私は思う。 また、ポイント的にも次のブラジルGPの結果次第では一気に逆転の可能性もあり、 この開幕2戦だけでフェラーリやシューマッハーを評価してしまうのは時期尚早だと思う。 しかし昨年の完璧なまでのレースを思い出すと、 どこか「らしくない」と感じてしまうのは確かだろう。 ここ数年、シューマッハーはレース中の致命的なミスがほとんどなくなり、 非常に安定感がある走りを見せていた。 これは彼自身が円熟の極みに達したからとも考えられるが、 その一方でフェラーリの絶対的なパフォーマンスに助けられたとも思える。 その証拠に、年を追うごとに優勝数や獲得ポイントは増えてはいるが、 純粋なスピードではバリチェロに差を詰められている感がある。 そして今年の開幕2戦では、旧車ということで他チームとの差が縮まり、 それによって接戦やプレッシャーに負けたとも考えられる。 いずれにしても、次のブラジルGPが非常に重要になってきた。 ヨーロッパに入る前、新車が登場する前のこの序盤3戦で、 フェラーリは少しでもポイント差を縮め、 また何より内容的に良いレースをして自らの「強さ」を示しておきたい。 対するマクラーレンは、この差をキープし、さらに少しでも広げておきたい。 この「接戦」は新レギュレーションによるものなのか?私はそうではないと思う。 フェラーリは旧車でもおそらくは今現在で最高のマシンだと思う。 しかし開幕戦で見られたピット作業の不手際のように、何か歯車が噛み合っていない感がある。 悪い流れを止めて何とか立て直さなければならない。 フェラーリにとって、シューマッハーにとって、今シーズン最初で最後で最大の試練なのかもしれない。
2003年オーストラリアGP 新レギュレーション今年は過去に例を見ないほどの大きなレギュレーションの改正が行われた。 これは、F1をより魅力的にするためであり、確かに新鮮な要素も加わったが、 その一方で多くの問題も残した。最も大きな変化は、やはり予選方式の変更だろう。 金曜・土曜ともに1周ずつの予選はまだいいとしても、 土曜の予選終了から日曜の決勝までマシンをいじってはいけないという レギュレーションには私は反対である。 これによって、今まで以上に決勝レースのことを考慮に入れて予選をアタックしなければならなくなった。 結果的に、土曜の予選では決勝仕様のセッティングと燃料搭載で、ほとんどのドライバーが 金曜の自らのタイムから大きく遅れた。 予選というのは、セッティングや燃料など、すべてをギリギリまで切り詰めて、 限界を競う戦いだと思うし、そうあってほしい。 かつてセナが、すでにPPが確実なのにさらに自らの限界を探り、 それを越えるべくアタックを続けていたのを思い出した。 そこまでするのはセナしかいないし、そこまでしろとは言わないが、 すべてを研ぎ澄ました限界の「時間とのバトル」を私は見てみたい。 さらに、ミナルディが土曜の予選を走らず、アタック前にそのままピットに戻ってしまったことがあった。 これは、エンジンを温存するということと、タイムを記録しないことで 決勝スタートまでマシンのセッティングを変えられ、 決勝日の天候などにも対処できるという利点があるためだとされる。 走っても「どうせ最下位なんだから…」そんな気持ちもあったのだろう。 作戦は作戦としても、これは明らかにスポーツとして問題がある。 今回は全く新しい状況だったので予期できなかったこともあり、しょうがなかったのかもしれないが、 新たに浮上したこれらの問題に対してFIAは、 何らかのレギュレーションの修正や対策を講じる必要があるだろう。 レギュレーションの改正も、フジテレビの地上波放送も、 「何か新しいものを」、という気持ちはわかるが、 その方向性はファンが期待しているものと少しズレているように感じる。 この開幕戦で生じた問題を踏まえて、関係者やファンの声を大切にし、 より魅力的なF1と、それを伝える放送形態を作り上げていってほしい。 決勝レースそのものは、ライコネンの走りがとても印象的だった。 昨年のフランスGPでは、M・シューマッハーの背後からのプレッシャーに負けてしまったが、 今回はその経験を生かしてシューマッハーと互角以上に渡り合っていたと思う。 ペナルティを喰らい優勝は逃してしまったが、学習能力が非常に高いライコネンは、 この失敗も経験として生かしてさらなる向上を果たすだろう。 今後の活躍に期待したい。 |