生い立ち・自己分析



幼少時代

私は生まれも育ちも千葉県市川市です。 小さな頃は電車に興味を持っていて、よく駅や江戸川の鉄橋に行き、 付近を走る横須賀・総武快速線の写真を撮ったりしたものです。 この頃は体が弱くて、いつも風邪や肺炎を起こし親には心配をかけました。


小学校時代

小学生になると野球に打ち込むようになり、 友達と江戸川の河川敷で暗くなるまでボールを追いかけていました。 好きなプロ野球チームは横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)で、 父親と横浜スタジアムや神宮球場へ野球観戦に行きました。 自分にとっての憧れの野球選手は、横浜大洋のエース、遠藤一彦投手です。 長身でかっこ良く、そこから投げ下ろす直球とフォークボールは感動しました。 最近は米大リーグ、シアトルマリナーズの佐々木投手が注目を集めていますが、 遠藤投手の全盛期は今の佐々木投手よりも凄かったと思っています。 学校の成績は、「中の中の上」といったところでしょうか。 5段階評価で3に交じって4が1、2個ある程度。 いたって普通の小学生だったと自分では思っています。


中学校時代

中学に入るか入らないかという時期、自分に自我が芽生え始め、 急に勉強することに喜びを覚え、成績も上昇しました。 そんな時にその存在を知って私の永遠の心の師匠になったのが、 F1ドライバーのアイルトン・セナです。 私は、セナの何事にも全力を尽くす姿勢に感動し、共感しました。 誰よりも強い意志で目標に向かって努力しているからこそ、 結果的に誰よりも速く、強く、美しかったのだと思っています。 私も立場や分野は違えど、セナのようになりたいと思いました。 部活動は野球部でほぼ毎日暗くなるまで練習していました。 ちなみに朝は弱いので朝練はパス!


高校時代

高校は、県内では進学校と呼ばれるような県立高校に進みました。 しかし私は、高校受験で燃え尽きてしまったのか、周囲の秀才連中に対して萎縮してしまったのか、 そもそも自分に能力自体が足りなかったのか、自分の力を出し切れませんでした。 というよりも、何かをしようという意欲が全くなくなってしまったのです。 成績は散々足るもの。赤点は当たり前。しかし、そんな点数を取ってしまったことよりも、 そんな成績を取っても全然悔しくない、そんな自分が悔しかった。 でも学校生活は、こんな自分を励ましてくれる友や先生に恵まれ、とても充実していました。 部活は陸上競技部で、足は遅かったのですが、比較的遠投が得意だったこともあり、 やり投げを種目に選びました。やり投げは競技人口も少なく、地区ブロック上位半分に入れば県大会にいける程でした。私は2度、県大会に出場することができました。


浪人時代

高校入試で燃え尽きてしまった私は、浪人時代も本来の自分を取りもどませんでした。 万年5月病のような生活をしているうちに、あっという間に3年の月日がたってしまいました。 そして、何とか今在籍している大学に入ることができたのです。 しかし気付いてみると私と同級生だった人たちはもう大学3~4年だったり、就職していたり…。 浦島太郎になったような気分でした。


大学時代

大学では、素晴らしい友人や先輩、恩師に恵まれて、充実した日々を送ることができました。 ポテトのお葬式の日以外、登録した授業は無遅刻無欠席で卒業することができました。 最初は行くのにためらった大学だったのに、卒業の時はみんなと別れるのがとても悲しかったです。 そのくらい、自分にとって大切な時間でした。


社会人時代

公共交通機関に努めています。 機械のような精確さと、人間としての優しさを併せ持った、そんなプロフェッショナルを目指します!



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