1. はじめに先日、もしもセナが生きていたらその後どうなっていたかということを私的に予想した 「未来予想図」というものを掲載しましたが、 当サイト掲示板より、セナの体力を不安視するご意見をいただきました。 成長著しいシューマッハーに対して、30歳代中盤にさしかかっていたセナの体力が果たして持つのか…。確かに94年以後も現役を続けていたとしたら、「予想図」を左右する唯一の問題が体力面だったと思います。 そこでここではセナの体力面に関する私の意見を記したいと思います。
2. セナは体力不足だったのか!?セナは一般的に、体力に不安があったという見方がされている。 確かにセナはデビュー当初、体力不足が指摘され、レース後に疲労困憊になった姿が何度か見られた。 しかしセナはすぐに自らの弱点に気がつき、ヌノ・コブラという一流のトレーナーの下で、 強靭ではなくてもしなやかで持久力のある肉体作りに取り掛かった。 それは運動中の心拍数をもコントロールするという高度なものだった。マクラーレンに移籍した後も何度かレース後にコックピットから出られないほど疲労してこともあったが (91年ブラジルGP、92年サンマリノGP)、それは単にセナの体力に問題があったわけではないようだ。 プロストのトレーナーであるピエール・バレディエは次のように語っている。 「アイルトンが時には身体的な問題に陥るのは、決して、彼の肉体が他のドライバーより劣っているからではない。 普通のドライバーなら走れない状態になっても、彼は肉体を越えた力を探しに行くんだ」 (「Number PLUS F1未知への疾走」より) このように、セナは決して他のドライバーに対して体力面で劣っていたわけではなく、 むしろ優れた肉体を誇っていたと考える。 例え若く強靭な肉体を持つシューマッハーが体力面で優れていたと考えても、 それは1時間半~2時間程度のF1レースにおいては差にならないと私は考える。 ちなみに上記に挙げた91年ブラジルGPはアップダウンの激しいコースで雨の中6速のみでドライブしたためで、 92年サンマリノGPでは風邪をひいていたうえにシートベルトをきつく締めすぎたために脱水症状を起こしたためで、 決して単純な体力の問題ではなかった。さらに両レースとも順位やペースを落とすことなくチェッカーを受けている。
3. ライバルたちの実際次に実際にキャリアを終えた同世代のライバルたちを考える。 セナ最大のライバルであるプロストは38歳になったシーズンで4度目のチャンピオンになり、そのまま引退した。 「無冠の帝王」マンセルは39歳のシーズンで悲願のチャンピオンになり、その後スポット参戦をしながら41歳で引退した。 セナと同郷で体力不足が指摘されていたピケも39歳まで現役を続け、しばし好走を見せた。 こうして見てみると、セナも彼らと同等に40歳近くまで現役を続けられる可能性が高いが、 3人のキャリアのほとんどは給油なしのレギュレーションのため、参考記録としておく。セナ(1960年生)と同年代で94年以後も現役で活躍したドライバーを見てみる。 セナの親友でありデビューも同期のベルガー(1959年生)は38歳になる最後のシーズンでもPPや優勝を飾るなど、 目立った衰えを感じさせずに余力を残し引退した。 セナ最後のチームメイトで同じ1960年生まれのヒルは、デビューが遅かったものの36歳でチャンピオンを取り、 39歳まで第一線で活躍した。 イギリスF3時代からのライバルであるブランドル(1959年生)も37歳まで現役を続け、 最後のレースでも5位に入賞するなど活躍した。 上記の同世代のライバルたちを見てみると、40歳近くまで活躍していたケースも少なくなく、 高度なフィジカルトレーニングを行っていたセナはさらに体力的に余裕があったとも考えられる。 少なくとも36~37歳くらいまでは衰える気配もなくトップを走り続けるのではないかと考え、 少し控え目に見積もって「セナ37歳1997年引退」を考えてみた。
4. おわりにセナはその繊細で神経質なイメージから、精神的に「弱い」といった印象も一部ではあるようだ。 しかし実際には、多くのライバルたちとの激しい戦いから培った「真の強さ」があったと思う。 また肉体的には当初問題があったが、すぐに自らの弱点に気づき克服する努力を怠らなかった。 こうしてセナは強い精神と肉体が結びついて、人間業とは思えないような多くの偉業を達成してきた。セナの「その後」を予想するのは、あくまで「予想」でしかない。 ただ一つ確かなのは、セナが精神力や体力の問題が原因で落としたレースはほとんどなかったということである。 (88年モナコGPは一瞬の集中力の欠如からリタイアしたが、そこから多くを学んだ) 私はセナが生きていたら、94年以後もセナらしいレースを見せてくれたと信じている。 確かに年齢を重ねることによって様々な問題が発生し、若い世代からの激しいプレッシャーも受けたであろうが、 セナはそれを様々な方法と工夫で乗り越えてさらなる栄光と感動を与えてくれたと信じている。 その光景を見ることができなくなり、残念でたまらない。 今はみなさんの心の中で、セナの想い出に浸り、その後の活躍を想像しながら、 永遠にセナの走りを感じようではありませんか! |