1990年当時、3度のチャンピオンであるジャッキー・スチュワートはすでにチャンピオンになってるセナに、
「キミは過去のチャンピオン達に比べて、アクシデントの数が多いのではないか?」と、
直接忠告したことがあった。
セナは本当にミスやアクシデントによるリタイアの数が多かったのだろうか?
さらに、1991年頃からはセナのレース中での致命的なミスはさらに減り、 1年に1度あるかないかといったレベルにまで安定している。 この背景にはポイント制の改正があったと思う。 1990年以前は16戦中11戦のポイントが加算される有効ポイント制であった。 つまり、残り5戦に関してはリタイアしてもポイント的には関係なく、 ポイントを稼ごうとするより、少しでも上位を目指して果敢に攻めていった方がいい場合もある。 セナはそんなルールに合わせて、 時にはミス覚悟で僅かな可能性にかけて勝利に向かい果敢に攻めていたような気がする。 一方1991年以降は全戦でのポイントが加算されることにより、 安定してポイントを稼ぐことが求められるようになった。 セナはこのレギュレーションに合わせるべく、以後はさらに安定感を増し、 自らのミスによるリタイアはほとんど見られなくなった。 これらのことから、セナは1990年以前は多少のリスクを負った上で優勝や少しでも上位に 食い込むように果敢に走り、また1991年以降は確実にポイントを稼ぐべく、 安定性を重視したことがわかる。 セナは時代に合わせて自らの走りをコントロールしていたのだ。 リタイア原因を振り返っても、不運なマシントラブルによるものがほとんどであったように思える。 出走161戦中50戦リタイアというのは2000年以降のF1に比べると少し多いような気がするかもしれないが、 当時は今に比べるとマシンの管理体制が低く、 またターボ時代からハイテクの時代へと技術革新の途上であり、 そのために初期トラブルが多発したとも考えられる。
記録と記憶、情熱と冷静、攻撃と守り… その両立ができていたのが、アイルトン・セナというレーサーだと思っている。 リタイアという指標の中に、そんな意味合いが隠されているような気がした。 |