このサイトを開設してから初めてセナの命日を迎えた。
セナの走りに感動し、そしてその人間性を尊敬し始めてからセナを忘れた日はなかったが、
それでも毎年5月1日にはいつもとは違う特別な想いを馳せる。 あの日から9年が経過した。セナを知らないF1ファンも、決して珍しくなくなってきた。 私は当初、レーサーとしても、そして一人の人間としても心から尊敬するセナについて、 自分の想いを多くの人に知ってもらいたいと思い、このサイトを立ち上げた。 しかしサイトを開いて感じたことは、私が多くを語る必要もなく、 多くの方々の心の中にセナがいたということだ。 そしてF1関係だけでなく、多くのメディアがセナを取り上げる。 セナという存在が、私が思っていた以上にとてつもなく大きいものだということを改めて実感した。 やはり「アイルトン・セナ」という存在は特別だった。 その走り、人間性、そして最後までトップを走り続けて天に旅立った神秘性…。 F1という枠を超えて、こんなに劇的に人生を生き抜いた人がいるだろうか?
「史上最強」…実際によく使われるが、言葉の定義は難しい。 セナはF1史上最強もしくはそのうちの一人だと私は思っているが、 その一方で、実際にはセナは、相対的に何かと比較することができないような、 絶対的で特別な存在だったのだと感じるようになった。 セナはF1を象徴する星になったのだ。 F1を知らなくてもセナだけは知っている…そんな人も少なくないだろう。 そしてセナの姿は、 永遠に多くの人々の心の中で色褪せることなく、衰えることもなく、トップを走り続けていく… セナには誰も追いつくことすらできない…私はそう理解している。 これから何年経っても、どんな優れたレーサーが登場しようとも、 自分の中でセナは特別な存在であり続けるし、多くの人々にとってもそうだと思う。 でももう少し、その華麗な走りを、その純粋な生き様を見せてほしかった…。
2003年5月1日 異国の一人のセナファンより
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