あれから10年、そして永遠に…



あれから10年… 思い出したくないという想いとは裏腹に、あの日の記憶は鮮明に私の中に刻まれている。 いや、「心の傷」として永遠に癒されることはない。

私はあの事故を5月2日の朝に知った。 前日まで入ったばかりの高校の陸上部の大会があったため、疲れていてビデオを予約して就寝した。 このようにリアルタイムで放送を見ないで、後にビデオでじっくり見るということはしばしばあったが、 このときは寝ている間に胸騒ぎがしたのをはっきり覚えている。

翌朝にビデオを観てみると、セナの顔がアップで映っていた。 「よし、勝った!」と一瞬思ったが、そんな浮かれた気持ちはホントに一瞬のうちに吹き飛んだ。 画面の下の方に「セナ事故死」の文字…。

涙も出なかった。信じられなかった。悪い夢であってほしい…そんな想いは今も変わっていない。 そして私の「F1体内時計」は10年前の7周目で止まったままである。



F1をテレビで毎戦のように観戦し、専門誌も読むようになるなど本格的にF1・セナに「はまった」1992年頃、 私はある事象を知ることになる。

ジル・ビルニューブ没後10年記念○○…

当時中学2年生だった私にとって、10年前の82年は幼稚園にも入っていない。 記憶も一部の残片的なことしか残っていない。 その10年間はとても長い時の流れを感じ、ビルニューブのことも「過去の英雄」くらいにしか思えなかったというのが、 正直な感想である。

しかしそれは、現在中学生~高校生で、シューマッハーの全盛時代を見続けてきたF1ファンにも、 同じようなことが当てはまっているのかもしれない。
「セナは過去の英雄…」

ビルニューブの時代に比べれば、フジテレビ全戦中継が始まり、マス・メディアも発達していた分、 より鮮明・身近にセナを感じることができるかもしれない。 しかし客観的に見れば、セナを知らない世代がどんどん増えていることは確かな事実である。



リアルタイムでセナを見てきたファンも、「セナのいないF1」に慣れていったのかもしれない。 そしてシューマッハーが好レースをすると、「セナがいても今のシューマッハーには適わなかったのでは?」といった 意見も見られるようになった。正直私もたまに、一時的にそんな想いに駆られることはある。

しかしそんな時、過去のセナのレースのビデオを見る度に、このような想いはすぐに吹き飛んでいった。 そして、何故だか自然と涙が出てきた。涙が出るほどの感動とは、このことだろうか? ちなみに前述のジル・ビルニューブのレースをビデオで見た時にも同じような想いに駆られた。

マシンを通して発せられるセナの勝利への想い、純粋なまでに目標に向かって全身全霊をかける姿勢… この人は全く違う次元で生きていることを感じた。 だからこそ結果的に誰よりも速く、誰よりも強く、誰よりも美しく…そして多くの人々を感動させたのだと思う。 F1という次元を超えて、誰とも比較することが出来ない、絶対的なアーティストとして。



アイルトン、ありがとう!

あなたの偉大さ、
あなたの優しさ…。
あなたが教えてくれた全てのことを、私は微力ながらホームページという形で残していきたいと思います。 そしてあなたは永遠のワールドチャンピオンとして私たちの心の中でトップを走り続けます。



最後に改めまして、10年前のサンマリノGPで亡くなられましたローランド・ラッツェンバーガー選手と アイルトン・セナ選手に哀悼の意を表します。



2004年5月1日 異国の一人のセナファンより



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