毎年、ゴールデンウィークになるとあの日の記憶が蘇ってくる。
私は普段からセナの存在を忘れたことはないし、いつも何かにつけてセナを想い出し
人生のモチベーションにしているのだが、5月1日になるとまた特別な想いに駆られる。 当時セナに挑みかかっていたシューマッハーはすでに引退し、 セナと一緒にレースをしていたのはバリチェロだけになってしまった。 また、F1雑誌等で「セナ」の文字を見ることも少なくなった。 時代は少しずつ、しかし確実に移り変わっている。 私自身も以前ほどF1を熱心に見なくなった。 F1雑誌等も以前は小まめにチェックしていたのだが、最近ではあまり見なくなった。 私の愛したあの時代が、セナがいたあの時代が完全に過去のものになろうとしているかのようだ。
セナには人々を惹きつける不思議な魅力があったとよく言われる。 私は、ドライビングテクニックなどの外見だけでなく、 セナの内部から出てくる強い意志やオーラみたいなものを感じていた。 私たちはセナの華麗なドライビングを通じて、セナの崇高な心に共感していたのではないだろうか? やるからにはベストを尽くし、誰よりも速く走るという、強く純粋なセナの心に。 そしておそらくあの頃、私はセナと一緒にレースをしていたのだと思う。 テレビの前でF1中継を見ていただけなのだが、私の心は明らかにセナのマシンのコックピットにいた。 そしておそらく、私だけではなく多くのファンが同じ想いでF1を見ていたのではないだろうか?
その時私は、セナは忘れられた「過去の人」ではなく、伝説の人として日々昇華していく存在なのだと感じた。 セナファンやF1ファンだけでなく、多くの一般の人々にとってもセナはF1の象徴なのだと思う。 と同時に、セナはF1という枠を超えた偉人であるのだと改めて感じた。
私にとってセナは「心の師匠」。
ありがとう、アイルトン・セナ。
2008年5月1日 異国の一人のセナファンより
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