セナファンにとっては毎年やってくるゴールデンウィークには楽しいイメージはない。
普段の日でもセナの存在を忘れた日などほとんどないが、この時期になると改めていろいろなことを考えさせられる。 今年は没後20年という節目の年なので、なおさらである。 F1専門誌はもちろんのこと、一般誌でも特集が組まれている。改めてセナの存在の偉大さを感じずにはいられない。 しかし20年ということで、20代の若いF1ファンの大部分はリアルタイムでセナを見ていないことになり、 セナの存在がどのように位置付けられているか気になるところである。 ここ数年はベッテルが快進撃で4連覇し、通算勝利数ではもうすぐセナに並ぼうとしている。 セナを知らない世代のファンの方々には、特に記録だけでは語り尽くせないセナの偉大さを、 雑誌や当時の映像等で知ってほしいと思うところである。 私の感じるセナの偉大さは、まずどんなときでも全力を尽くす姿勢である。 毎レース、毎周、常に限界上を走っていたように感じる。 さらに当時を思い返すと、セナには「全盛期」という概念がなかったような気がする。 マシンやチーム環境によって勝てる時期、勝てない時期はあったにせよ、 常にマシンのポテンシャルを最大限に引き出し、期待される以上の結果を出していた。 より具体的な点では、マシンコントロールの精度と、自らの精神をコントロールすることに非常に優れていたと思う。 セナはラテン系の血筋が影響しているのか、普段は喜怒哀楽が激しいと言われることがあるが、 レースではそのことがマイナスに作用したことはほとんどなく、逆に勝負強さに変えている。 限界ギリギリまで攻められるセナの卓越したマシンコントロールと精神力が、予選での他を圧倒する一発の速さや、 不利な状況下でのライバルとの攻防を可能にしているのだと思う。 レースへの真摯な姿勢と、卓越したドライビングテクニックが相まって、驚異的な走りを可能にした。 そしてそんなセナの姿勢に共感したからこそ、ここまで多くのファンに大きな影響を与えたのではないかと思う。 私自身のセナへの想いはまだまだ尽きないし、セナを大切に想う気持ちは人それぞれお持ちだと思う。 こうして20年経過した今でも、世代を超えて、F1という枠を超えて、多くのファンがセナを愛し尊敬しその生き方に共感していることが、 セナの偉大さを端的に表している。
セナはレースに限らず、何事にも全力で取り組むという姿勢を教えてくれた。
そのセナのスピリッツを大切にし、自らの仕事や私生活に取り組んでいきたい。
2014年5月1日 異国の一人のセナファンより
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