あれから22年…あの日のセナ、あの日の私



今年の5月1日は日曜日。あの1994年と同じ曜日ということで例年以上に当時の記憶が思い出される。



あの年の春に私は高校に入学した。新しい環境で、さらに自分の実力より高い高校に入り委縮し戸惑う私だったが、 同じく新しいチームでナーバスなマシンと慣れない環境の中でがんばっていたセナを思い、 「私もがんばろう、そしてこんな時こそセナを応援するのが本当のファンだ」と思っていた。 しかしそんな中であの事故は起きた。

あの事故がなくても、「セナはもう活躍できない」、「早期引退もあり得た」といった声も聞かれたが、私は全くそうは思わない。 セナはウイリアムズに移籍してから、まだ「セナ足」を使っていなかったそうだ。いや、使えなかった。 「セナ足」はマシンの限界を察知しながらギリギリのコーナリングと素早い立ち上がりを可能にするセナだけの技。 不安定でまだ信頼の乏しかった序盤のウイリアムズのマシンでは、「セナ足」を使えるまでに至らなかったのだ。

もし、もう少しでもマシンが安定し、「セナ足」をはじめとするセナのドライビングテクニックが多用できるようになったならば、 状況は一気に変わった可能性が大いにあったと私は思う。 そうでなくても、実際あの不安定なマシンでもPPを譲らず、 コース上でのオーバーテイクを許さなかった(スタート直後のパシフィックGPを除く)ことが、セナの実力が健在だったことを示している。

そしてあの日も厳しい状況の中、悲壮な決意と強い意志でレースに臨んでいた。 事故後にコックピットから発見されたオーストリア国旗がそれを証明している。 前日に亡くなったオーストリア出身のローランド・ラッツェンバーガーにその勝利を捧げるために、 自分自身を奮い立たせてレースをしていたのだと思う。



私事で恐縮ですが、その後私は高校で落ちこぼれ、何年か浪人し、やっと大学に入って自分自身を取り戻した。 しかし調子の良い時も悪い時も、いつも心には目標に向かって限界ギリギリを走るセナの姿があった。 調子のよい時は自分をセナの姿に重ねて、調子の悪い時はセナの映像を見て自分自身を奮い立たせていた。 セナに少しでも近づけるように…。

あの日を境にセナの新しいレースを見ることはできなくなった。 しかしセナの姿は私たちの心の中にいて、私たちを支えてくれているのだと思う。 ありがとう、アイルトン! そしてこれからも…。



2016年5月1日 異国の一人のセナファンより



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