全レース合計 |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
|
(全レース計) |
161 |
41 |
23 |
16 |
96 |
25.5% |
49.7% |
59.6% |
19 |
ブラジルGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
ジャカレパガ |
6 |
0 |
1 |
0 |
1 |
0.0% |
16.7% |
16.7% |
0 |
インテルラゴス |
5 |
2 |
0 |
1 |
3 |
40.0% |
60.0% |
60.0% |
0 |
(ブラジルGP計) |
11 |
2 |
1 |
1 |
4 |
18.2% |
36.4% |
36.4% |
0 |
セナが最も勝ちたくて、なかなか勝てなかったブラジル。
不運なトラブルや失格等もあったが、
サーキットが地元サンパウロに移ってからは5戦中2勝を挙げ、ジンクスを打ち破った。
91年はアップダウンが激しく雨で濡れ始めた路面を6速のみで走りきって歓喜の勝利。
南アフリカGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
キャラミ |
4 |
0 |
1 |
1 |
3 |
0.0% |
50.0% |
75.0% |
0 |
デビュー間もない84~85年と、3度のチャンピオンを獲得した後の92~93年に出走。
コースレイアウトは若干変更されている。84年セナはここで初入賞を記録。
92~93年はウイリアムズ絶対有利の中で安定した好走を見せ、表彰台に上がった。
ベルギーGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
ゾルダー |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0.0% |
0.0% |
100.0% |
0 |
スパ・フランコルシャン |
9 |
5 |
1 |
0 |
8 |
55.6% |
66.7% |
88.9% |
0 |
(ベルギーGP計) |
10 |
5 |
1 |
0 |
9 |
50.0% |
60.0% |
90.0% |
0 |
デビューした84年のみゾルダーで、85年以降はスパで行われた。
モナコと並びドライバーの腕が試される難コース・スパで、セナは5割以上の勝率を残した。
また結果にはつながらなかったが、92年は雨の中、危険なスパのコースをスリックタイヤで走るという神業を見せている。
サンマリノGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
イモラ |
10 |
3 |
1 |
1 |
5 |
30.0% |
50.0% |
50.0% |
0 |
セナ最後の地となったイモラ。84年はタイヤメーカーとのトラブルや天候悪化で、生涯唯一の予選落ちを喫している。
ただ翌年から7年連続してPPを獲得するなど、決して苦手なコースではなく、逆に得意なコースといえるだろう。
89年はプロストとの紳士協定問題で確執が表面化。
フランスGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
ディジョン |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.0% |
0.0% |
0.0% |
0 |
ポールリカール |
6 |
0 |
1 |
1 |
3 |
0.0% |
33.3% |
50.0% |
0 |
マニ・クール |
3 |
0 |
0 |
1 |
2 |
0.0% |
33.3% |
66.7% |
0 |
(フランスGP計) |
10 |
0 |
1 |
2 |
5 |
0.0% |
30.0% |
50.0% |
0 |
84年はディジョン、85~90年はポールリカール、91~93年はマニクールで行われた。
10回の出走で優勝は一度もない。5回以上開催された国で優勝がないのはフランスGPのみ。セナ唯一の苦手国か!?
逆に地元プロストはここで抜群の強さを発揮した。
モナコGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
モンテカルロ市街地 |
10 |
6 |
1 |
1 |
8 |
60.0% |
80.0% |
80.0% |
4 |
モナコといえばセナ。セナといえばモナコ。
そのイメージ通りの圧倒的な強さを発揮した。
88年は首位独走中に単独クラッシュ。
しかしこの経験が、真の「モナコマイスター」への試練だったのかもしれない。
セナはその後5年連続でモナコを制することになる。
中でも92年のマンセルとのバトルは歴史に残る一戦。
カナダGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
ジル・ビルヌーブ |
9 |
2 |
0 |
0 |
3 |
22.2% |
22.2% |
33.3% |
2 |
9回の出走のうち優勝2回であるが、上位走行中にメカニカルトラブルに見舞われることが多かった。
89年は1位走行中で残り3周となったところでエンジントラブルが発生した。
91年は3位走行中、92年は1位走行中、93年は2位走行中にトラブル。
アメリカGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
デトロイト |
5 |
3 |
0 |
0 |
3 |
60.0% |
60.0% |
60.0% |
2 |
ダラス |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.0% |
0.0% |
0.0% |
0 |
フェニックス |
3 |
2 |
0 |
0 |
2 |
66.7% |
66.7% |
66.7% |
1 |
(アメリカGP計) |
9 |
5 |
0 |
0 |
5 |
55.6% |
55.6% |
55.6% |
3 |
84年デトロイトで行われたレース(アメリカ東GP)もアメリカGPとしてカウントした。
モナコと同じように、テクニカルな市街地コースで他を寄せ付けない強さを発揮した。
90年、若いアレジ(ティレル)とフェアで気持ちのよいバトルを展開。
イギリスGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
ブランズハッチ |
3 |
0 |
1 |
1 |
2 |
0.0% |
66.7% |
66.7% |
0 |
シルバーストン |
8 |
1 |
0 |
2 |
5 |
12.5% |
37.5% |
62.5% |
0 |
(イギリスGP計) |
11 |
1 |
1 |
3 |
7 |
9.1% |
45.5% |
63.6% |
0 |
85年ブランズハッチで行われたレース(ヨーロッパGP)もイギリスGPとしてカウントした。
ブランズハッチでは、絶対的なポテンシャルのないロータスで好走を見せた。
シルバーストンでは1勝にとどまったが、これはライバルチームのフェラーリやウイリアムズのマシンに
有利なレイアウトゆえに、苦戦を強いられたためと思われる。
ドイツGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
ホッケンハイムリンク |
10 |
3 |
2 |
1 |
7 |
30.0% |
60.0% |
70.0% |
1 |
88~90年にかけて3連勝を記録。91年以降はウイリアムズに苦戦を強いられるが、
そんな中で92年のパトレーゼ(ウイリアムズ)とのバトルは隠れた名勝負だった。
93年はスタート直後にプロスト(ウイリアムズ)と競り合い接触し最後尾に落ちるが、そこから追い上げて4位に入賞した。
オーストリアGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
エステルライヒリンク |
4 |
0 |
1 |
0 |
2 |
25.0% |
25.0% |
50.0% |
0 |
84~87年にかけて出走。優勝はないが、85年は予選14位から脅威の追い上げで2位表彰台を獲得した。
オランダGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
ザントフールト |
2 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0.0% |
50.0% |
50.0% |
0 |
84~85年に出走。85年ロータスで3位表彰台を記録。
イタリアGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
モンツァ |
9 |
2 |
2 |
1 |
5 |
22.2% |
55.6% |
55.6% |
3 |
84年はトールマンチームとの契約問題で出走できず。
優勝は2回だが、2位2回、3位1回と安定した成績。
92年、ホンダF1撤退発表後にホンダエンジンでの最後の優勝を果たした。
ポルトガルGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
エストリル |
10 |
1 |
2 |
2 |
7 |
10.0% |
50.0% |
70.0% |
2 |
85年、初PP、初優勝を全周回1位で成し遂げた思い出の地。
しかしこれ以降、エストリルで優勝することはなかった。
88年は燃費の問題からペースを乱し、89年はマンセルと接触するなど運に見放された感があったが、
90年以降はチャンピオンシップのために手堅いレースを展開した。
スペインGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
ヘレス |
5 |
2 |
0 |
0 |
4 |
40.0% |
40.0% |
80.0% |
1 |
カタロニア |
3 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0.0% |
33.3% |
66.7% |
0 |
(スペインGP計) |
8 |
2 |
1 |
0 |
6 |
25.0% |
37.5% |
75.0% |
1 |
86~90年はヘレス、91年以降はカタロニアで開催された。
86年は追い上げるマンセル(ウイリアムズ)を0.014秒差で抑え劇的な優勝を果たした。
91年以降はウイリアムズの前に苦戦を強いられた。
ハンガリーGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
ハンガロリンク |
8 |
3 |
4 |
0 |
7 |
37.5% |
87.5% |
87.5% |
0 |
86年、ハンガリーで東欧初のF1レースが開催された。
セナは8回の出走のうち優勝3回、2位4回と安定した強さを発揮した。
86年はピケと、88年はプロストと好バトルを展開。
メキシコGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
エルマノス・ロドリゲス |
7 |
1 |
1 |
2 |
4 |
14.3% |
57.1% |
57.1% |
0 |
86年より開催。優勝は1回のみだが入賞したレースはすべて表彰台と安定した結果を残した。
セナは91、92年と予選中に大クラッシュ。バンピーで危険な路面ゆえ、92年を最後にF1の開催は行われなくなった。
オーストラリアGP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
アデレード |
9 |
2 |
1 |
0 |
3 |
22.2% |
33.3% |
33.3% |
0 |
85年よりアデレード市街地コースにて開催。93年にセナ生涯最後の優勝を飾った地である。
モナコやアメリカといった市街地コースを得意とするセナだったが、長らく勝機に恵まれなかった。
91年は豪雨の中、史上最短レースを制している。
日本GP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
入賞総数 |
勝率 |
表彰台率 |
入賞率 |
FL |
鈴鹿 |
7 |
2 |
2 |
0 |
4 |
28.6% |
57.1% |
57.1% |
2 |
セナが3度のチャンピオンを獲得し、「第2の故郷」と自ら語った鈴鹿。2回の優勝はともに劇的であった。
さらにシケイン不通過により失格になった89年、ベルガーに優勝を譲った91年のレースもあり、
優勝はさらに増えていた可能性もある。
セナは鈴鹿で成長していった。
その他単一開催GP |
GP |
サーキット |
出走 |
優勝 |
2位 |
3位 |
FL |
ヨーロッパ |
ニュルブルクリンク |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
ヨーロッパ |
ドニントンパーク |
1 |
1 |
0 |
0 |
1 |
パシフィック |
TIサーキット英田 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
84年ニュルブルクリンクと94年TIサーキット英田でのレースは、スタート直後の多重クラッシュにて早々とリタイア。 93年ドニントンパークでのレースは雨の中オープニングラップで4台抜きという超人業。 F1史上最高の1周。 |