年 |
チーム |
出走 |
PP |
2位 |
3位 |
4位 |
5位 |
6位 |
7位~ |
11位~ |
予選不通過 |
1984 |
トールマン・ハート |
15 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
5 |
7 |
1 |
1985 |
ロータス・ルノー |
16 |
7 |
3 |
0 |
4 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1986 |
ロータス・ルノー |
16 |
8 |
1 |
4 |
1 |
1 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1987 |
ロータス・ホンダ |
16 |
1 |
3 |
4 |
2 |
2 |
1 |
3 |
0 |
0 |
1988 |
マクラーレン・ホンダ |
16 |
13 |
2 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1989 |
マクラーレン・ホンダ |
16 |
13 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1990 |
マクラーレン・ホンダ |
16 |
10 |
1 |
3 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1991 |
マクラーレン・ホンダ |
16 |
8 |
3 |
5 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1992 |
マクラーレン・ホンダ |
16 |
1 |
4 |
10 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1993 |
マクラーレン・フォード |
16 |
1 |
2 |
3 |
7 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1994 |
ウイリアムズ・ルノー |
3 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
計 |
― |
162 |
65 |
22 |
31 |
15 |
7 |
3 |
10 |
8 |
1 |
率 |
― |
― |
40.1% |
13.6% |
19.1% |
9.3% |
4.3% |
1.9% |
0.6% |
・率は予選不通過のレースを含めて算出(小数第2位四捨五入)。(例:PP率 65÷162=40.1%) ときには本戦出走回数で割った数字が使われることもある。(例:PP率 65÷161=40.4%) ・PP数は歴代1位だが、もう少しでM・シューマッハーが更新する可能性が高い。 しかしPP率は40%を越えて歴代4位。1位ファンジオ、2位クラーク、3位アスカリと、 50~60年代のスターが並ぶ。この頃は年間の出走回数も少なく、 年間16戦以上になってからのドライバーの中ではセナがダントツ。 飛びぬけた1周の速さがわかる。 ・当時は予選2日間のベストタイムが予選結果になるなど不確定要素が少ないこともあり、 セナは常に安定した速さ・グリッドを得た。 ロータス時代からPPを量産し始め、マクラーレン時代ではPPはセナの指定席になった。 ウイリアムズがハイテクマシンで台頭した92年以降も、マシンの力を常に100%以上引き出して、 安定した予選結果を得ている。 ・唯一の予選落ちは84年サンマリノGP。このときはタイヤメーカーとのトラブルで予選1日目にタイヤが供給されず、 予選2日目にはマシントラブル、雨などの悪要素が重なったため。 しかし翌年以降、サンマリノでは7年連続PPで、最後のレースとなった94年もPPからスタート。 トップを走ったまま天に旅立った。 ・94年はPPを取りながらリタイアが続き、一部ではセナの衰え・世代交代もささやかれた。 しかし「序盤戦でのウイリアムズの不安定なマシンでよくPPを取れたものだ」、 「セナだからこそPPを奪えた」という見方も多い。 特にパシフィックGP予選で見られたパフォーマンスは素晴らしかった。 私の記憶にあるセナのラストアタック…。 |