「セナ」という単語を初めて見た瞬間を覚えています。 小学5年生のある日、私はファミコン雑誌を読んでいました。 私は野球好きで、ファミコンの野球ゲームをよくしていました。 「究極ハリキリスタジアム 平成元年版」というゲームをご存知でしょうか? このゲームは、パスワードを入れることによって、 新しい選手を追加できるというシステムを持っています。 そしてこのパスワード情報を見ていると、欄外に「おもしろパスワード」 というのがありました。それは、各スポーツ界のトップスターのパスワードでした。 たとえば、「たいそん」(ボクシング:マイク・タイソン)は打力が強かったり、 「ちよのふ」(大相撲:千代の富士)は体力の値が高かったり…。 その中に、足の速さが最高値の「せな」という選手を見つけました。 のちに、「せな」という人物が、F1界でものすごい活躍をしている、 「アイルトン・セナ」だと父親から教えられました。 しかしその時は、「そんなすげー奴がいるんだな」と思っただけで終わってしまいました。 それから約1年後、私はテレビで1990年のF1日本GPを見ていました。 小学生だったときは夜の10時には就寝していた私ですが、 当時の日本GPの中継は夜の8時からということもあり、 また、セナというのがどんな奴なのか知りたいという好奇心もあり、 スタート前からテレビの前にくぎ付けになって見ていました。 そうしたらスタート早々、セナとプロストという奴が1コーナーで接触。 この魂のぶつかり合いを見たときに私は何かを感じました。 そしてセナファンを決定付けたのは1991年のベルギーGPの予選を見ていた時です。 1周を争う予選で、わずか0.001秒を削り取るために限界ギリギリでマシンをコントロールする…。 セナだけは他のドライバーと違って見えました。 この頃私は中学に入り、自分に自我が芽生え始めた時期でした。 私は、セナの何事にも全力を尽くす姿勢に感動し、共感しました。 誰よりも強い意志で目標に向かって努力しているからこそ、 結果的に誰よりも速く、強く、美しかったのだと思っています。 セナは私が高校1年の時に、首位を走ったまま事故に遭い、天に旅立ちました。 志半ばの事故だったので全ての記録を塗り替えることはできませんでしたが、 誰にもトップを譲ことなく去っていったことは、セナの記録は超えられても、 セナ自身には誰も追い付くことすらできないことを象徴していると思います。 事故の後も、私はいつもセナを心の支えに生きています。 |