アイルトン・セナ語録


(写真提供 ラクダおやじ様



セナが時代を越えて普遍的に史上最高と称えられ、多くの人々を魅了しているのは、 セナの精神が誰よりも崇高で気高かったからだと思います。 私達は、その芸術的なドライビングを通して、誰よりも速く走るという強い意志や、 目標に向かってひたすら努力していくというセナの純粋な内面を見ていたからではないでしょうか? だからこそ結果的に、誰よりも速く、誰よりも強く、そして誰よりも美しかったと思います。

ここでは、セナが残した言葉の中でも私が特に感動や共感を得たものを 記していきたいと思います。その中から、人間「アイルトン・セナ」の生き方が 見えてくるような気がします。 セナの残してくれた言葉は、今も自分の心の支えになっています。



・1989年
「僕達はいつも限界で闘っている。マシンも人間もだ。それがモーターレーシングであり、F1なんだ」

(フジテレビF1グランプリ中継、1995年サンマリノGPオープニングより)


・1993年
「理想を語ることは簡単だが、自ら実践するのはすごく難しい。 だからこそ、とにかく、どんな時でも、ベストを尽くして生きなければならない。 その結果、うまくいく時もあれば、そうでない時もある。 間違いを犯すこともあるだろう。 でも、少なくとも、自分自身に対しては誠実に、 そして、自らの描いた夢に向かって、精いっぱい生きていくことだ。」

(早川書房「セナ」より)


・1993年
「なぜ人生には、不幸なことが起きるのか、それを理解するのが最も難しいことなんだ。 愛する友達や家族を亡くせば、なぜ、自分が、こんなに辛い目にあうのかと思うだろう。 でも、それは僕ら人間にはわからない。 それを理解するには、人間の心はあまりにも小さすぎるんだ。 だから、僕達は、ただその苦しみに耐え、 悲しみを乗り越えるために、より強くならなければならない。 しかし、数年後、数十年後になって、 その時の悲しみの意味がわかることもある。」

(早川書房「セナ」より)


・1990年
「もし、誰かが、僕の活動や僕のやり方、僕の話し方や行動やふるまいに、特別なものを感じ、 そこに何かポジティブな面を、見出したとするなら、その人は、僕自身の真実の姿を、受け入れているんだと思う。僕はレーシング・ドライバーであり、スポーツマンだ。 『できると信じればやれる』という、大きな信念を持った男なんだ。そして、僕はいつでも、 自分の心に従って生きている。だから僕のファンの人達は、僕という人間の内面を見ているのだと思う。表面的な姿ではなくてね。そして、僕は、そういう人達を、決してがっかりさせたりしない。 絶対に裏切らない。なぜなら、僕は、僕以外の何者にもなれないから……。」

(早川書房「セナ」より)


・1988年
「例えば今の僕は、着実に上昇し、あと少しで大きな成功をつかもうとしている。 だけど、仮にそれをつかんだとしても、頂点に到達したわけではない。 自分には、まだまだ可能性があるはずだ。 もっともっと、高いところに昇る力が……本当の頂点がどこなのかはまだわからないけど…… 僕が選んだ道、僕が歩いてきた道には、まだ続きがあるはずなんだ。 そして、そのずっと先に頂点がある。」

(早川書房「セナ」より)


・1990年 サンマリノGP
「注意深く考えた上で、自分はできる、そしてどんなミスも犯さないんだと、信じられるかどうかがすべてなんだ。慎重に考えてね。」

(ソニー・マガジンズ「生涯 アイルトン・セナ」より)


・死について
「もし自分が生きるんだったら、思う存分、密度の濃い生き方をしたい。 僕は密度の濃い人間だから……。そうじゃないと、人生が台なしになってしまう。 だから、僕はひどいケガをして病院で唸っているのも好きじゃない。 もし、事故で命を失うようなことになるんだったら、一瞬に終わってほしいね。」

(ソニー・マガジンズ「アイルトン・セナ全記録」より)



「人間は、ほんの一瞬で鏡の向う側に倒れ込んでしまうこともある、と自覚している。」

(文藝春秋「Senna on Sports Graphic Number」より)



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