1991年東京で行われた世界陸上・100m走で、
カール・ルイスが9秒86という当時の世界最高記録で優勝した。
そしてこの世界記録達成は、ルイス専用のシューズ(スパイク)も大きな要因だったようだ。 ルイスは世界的スポーツメーカーであるミズノと契約し、 彼の足型・走行フォームをコンピュータを用いて解析し、それに合わせたシューズを設計・開発した。 今でこそ多くのアスリートとスポーツメーカーが当たり前のように行っていることであるが、 当時としてはかなりの技術を結集しての作業だったようだ。 そのことを知ったセナは、早速ミズノに自らのドライビングシューズの設計・開発を依頼する。 セナは、コーナリング中にも細かくアクセルを開閉させる「セナ足」と呼ばれる高度な技術で、 コーナリングスピードを維持していた。 しかしそのためには足底が薄くて硬く、 直に敏感なセナの足の動きをアクセルに伝えるシューズが必要だった。 セナは1992年からミズノ社製の特製ドライビングシューズを履いてレースに臨むことになった。 この頃からライバルのウイリアムズの台頭で優勝数などは減ったが、 セナのドライビング自体はミスもほとんどなくとても完成度の高いものだったと思える。 もしかしたら、ミズノ社製特製シューズもセナの芸術的なドライビングを可能にする 要因の一つだったのかもしれない。 セナはすべてにこだわった。 誰よりも速く走るために。 そして自分自身の限界と戦うために…。 その後もミズノとの契約は続き、シューズの改良も行われていた。 セナは1994年のサンマリノGPにて事故死してしまうが、 その頃ミズノは新たなシューズを開発・用意していた。 セナはそのシューズを履かないまま天に旅立ってしまった。
アシックスの雑誌広告で、 マクラーレンのピットクルーがアシックスのシューズを履いてピット作業を行っている写真を 使ったものがあった。 しかしその輪の中心にいるセナは、実はライバル会社であるミズノ社製のシューズを履いていたということは、 なんとも奇妙でおもしろい光景だった。
*ミズノ社との関わり等は記憶をたよりに記述しています。 一部情報が異なる可能性もありますのでご了承ください。 さらなる詳細をご存知の方、ご連絡ください! |