1. はじめにここではセナのレースに見られる典型的なパターンと、 そこからわかることなどを考察していきたいと思います。 なお、これらはすべてのレースには当てはまらないとは思いますが、 あくまで主観的印象として受け取ってほしいと思います。
2. セナのレース・パターンセナの典型的な勝ちパターンとして、スタートから独走してそのまま優勝するといった レースの印象が強い。特に1988年にマクラーレンに移籍してからは、 マクラーレン・ホンダの性能をフルに生かし、 PPから独走するといった先行逃げ切り型のレースがよく見られるようになった。またその一方で、トールマンやロータス時代、 ウイリアムズが異次元のマシンで大躍進した1992年以降のように、 マシンポテンシャル的に不利な状況の中では、一瞬の隙をつきライバルの前に出て、 あとは見事なマシンコントロールと無駄のないライン取りで、 自分よりペースの速いライバル達を押さえ込むといったレースも見られた。 そして私が最も強調したいのは、上記とは逆に セナのペースの方が速いのに、ライバルに押さえ込まれて2位や3位、 またはそれ以下に甘んじるといったケースがほとんど見られなかったということだ。 セナが長い間、抜きあぐねてブロックされ続けるというレースは記憶をたどるのが難しい。 (数少ない記憶の中では1990年ハンガリーGPみたいなレース) これらのことから言えることは、 自分のマシンがライバルに比べて同等かそれ以上のレベルにあるときは、 セナは確実にライバルの前に出て他を圧倒し、完全なる勝利を成し遂げる。 そしてその一方で、多少のハンディくらいならば セナ自身のドライビングや戦術などで、有利なはずのライバルとも互角以上に渡り合い、 勝利や、マシンのポテンシャル以上の成果をあげていたということである。 つまり、セナは自らのマシンの性能を常に安定的に100%以上引き出し、 期待される結果以上の走りをしていたということが言える。 勝てる状態では確実にライバルの前に行き、 勝てないような状態でも不可能を可能にし劇的な勝利を呼び込む…。 ここがセナの偉大なところだと思う。 以上のことから、 基本的にイコール・コンディションの下では、つまりドライバー自身のポテンシャルでは、 誰もセナには敵わないのではないかと私は思う。
3. 不利な状況の中で…あるレベル以上のドライバーになってくると、勝てるマシンに乗って勝つことは当たり前である。 セナもマクラーレン・ホンダの全盛期には、「セナじゃなくてもあのマシンに乗れば勝てるのでは?」 といった声も聞かれるようになった。しかしその後、ライバルのウイリアムズが異次元のハイテクマシンで大躍進し、 セナは一線級とは言えないマシンで苦戦を強いられる。 確かにこの頃は優勝やPPなどの回数は減ったが、 しかし、セナだからこそできる芸術的なドライビングを見せ、数々の名レースを残した。 1992年以降はチャンピオンにはなれなかったが、 不利な状況の中で劇的な優勝や見事なレースを展開することによって、 F1史上でも最高、もしくは少なくともそのうちの一人として、評価は逆に一層高まったのではないかと思う。
4. おわりにこれらのセナの神業的なパフォーマンスを可能にしたのは、 とても大きな勝利への貪欲な姿勢が根底にあったためだと思う。 どんなに劣勢な状態であっても、できる限り勝利を目指してひたむきに走っている。 セナにとっては初めからポイント狙いなんて考えはなく、 勝つか負けるか、それしかないのだと思う。もしかしたらポイント狙いで無難に走っていたほうが、 結果的によかったのではないかと思われるレースも中にはあったかもしれない。 しかし、常に勝利を目指す強い意志やひたむきな姿勢、人一倍の努力などがあったからこそ、 その走りは美しく、記録だけでなく数多くの感動を残したのだと思う。 |