1992年 イタリアGP


1992年9月11-13日
イタリア アウトドローモ・ナツィオナーレ・ディ・モンツァ

予選:2位 決勝:優勝(36回目)


イタリアGPが開幕する9月11日、東京・青山のホンダ本社では、 92年シーズン限りでのホンダF1活動休止発表が行われた。 その発表はイタリアにもほぼ同時に伝えられ、セナは川井一仁リポーターのインタビューに応じた。

「今年に入って、そういった話を耳にしたことはあった。 撤退話が噂であることを願っていたが、そうせざるを得ない現状もわかっていた。 ホンダのF1に対しての積極性と、築き上げてきた業績を考えれば、 僕はホンダの一員として、ドライブできたことを誇りに感じている。 和光、栃木、東京…日本にいるすべてのホンダ関係者の努力と業績に対して、心からお礼を言いたい。 ホンダの素晴らしい成績はみんなで一緒になって作り上げてきたものだからね。」

セナは人目をはばからず涙しながらモーターホームへと走り去っていった。



去っていくホンダのためにも、なんとしてもいいレースをしたい。 金曜日、マクラーレンは実戦で初めてアクティブサスを投入してきた。 「アクティブすぎる」らしく、まだまだ開発段階で、結局セナも従来のパッシブサスに戻したが、 マクラーレンの戦う姿勢が見られた。

金曜予選、セナはパッシブサスのマシンでマンセル(ウイリアムズ)に0.2秒差の2位。 土曜日になると暑さに加え、エンジントラブルも生じタイムアップならなかったが、 マンセルを除いて金曜日のセナのタイムを更新するドライバーが現れず、 2戦続けてフロントローを獲得した。

日曜朝のウォームアップ走行後、マンセルがウイリアムズスタッフの制止を振り切り、 92年シーズン限りでのF1引退を発表した。 ハンガリーで早々とチャンピオンが決まってから、水面下でマンセル、プロスト、セナが 93年シーズンのウイリアムズのシート争いをしていたと言われていたが、 まずはじめにマンセルが政治的駆け引きにうんざりしたようだった。

さらにパトレーゼも93年のベネトン入りを発表。 ベルギーではベルガーのフェラーリ復帰も発表されるなど、チャンピオンシップが早々と決まった分、 翌シーズンに向けた動きが例年以上に活発になってきた。 ホンダがF1を去り、セナはどうするのか?

シート争いも気になるが、一度シグナルが青に灯れば、みなレースに集中していく。 決勝レース、スタートでセナは少し出遅れ、予選3位のアレジ(フェラーリ)に先行されるが、 鋭くアレジのイン側に切り込み、狭くなっていく第1シケインをブレーキングを遅らせ、 タイヤから白煙を上げながら2位を奪い返した。

1位マンセルはセナ以下をジリジリと引き離していく。 セナはしばし単独で2位を走行。 マンセルに喰らいついていこうと思ったが、序盤セナのギアボックスの調子が悪く、 自分のペースでポジションをキープすることを心がけたという。

しかし後方からは、予選でトラブルに見舞われて4位からのスタートを余儀なくされたパトレーゼが迫っていた。 14周目のホームストレート、パトレーゼはセナの背後につき、第1シケインで白煙を上げながらセナをパスした。 「リカルドのブレーキングがあまりにも遅かったので、彼がコースから飛び出すかと思った」とはセナ。 マシンの差があるとはいえ、セナをパスするにはとても高いリスクを伴うということを改めて感じた。

これでこの年恒例となった、ウイリアムズのワン・ツー体制が完成した。 マンセルが10秒の差をつけて独走し、パトレーゼもセナを引き離しつつあった。 しかし20周目に異変が生じる。 マンセルがスローダウンし、パトレーゼがトップに立ったのだ。

トラブルかと心配されたが、マンセルは再びペースを戻して一定の間隔をあけてパトレーゼに続いた。 マンセルは地元イタリア出身のパトレーゼに1位を譲ったのだった。 この計画は、マンセルとパトレーゼだけの秘密だった。 レース前には契約問題のこじれもあり、フランク・ウイリアムズは複雑な表情でレースを見つめる。

上位陣は大きなバトルもなくパトレーゼ、マンセル、セナの順で終盤へ。 セナも大きく引き離されることなく一定の間隔で見えないプレッシャーを与えていくが、背後に迫るまでには至らない。 このままウイリアムズのワン・ツーで終わるかと思われたが、42周目、マンセルが再びスローダウン。 今回は計画されたスローダウンではなく、油圧系のトラブルであった。 セナがいとも簡単にマンセルをかわし、マンセルはそのままピットに戻った。

さらに残り6周となったところで今度はパトレーゼがスローダウン。 原因はマンセルと同じくアクティブサスの油圧系だった。 パトレーゼはそのまま走り続けたが、レーシングスピードを失っており、次々と抜かれていく。

こうしてセナはトップに立ち、残り5周も無難に走りきった。 セナはファイナルラップのホームストレートで右手を上げながらトップチェッカーを受けた。 結果的にウイリアムズ勢のトラブルに助けられたようにも見えるが、 セナはマシンのポテンシャルを最大限まで引き出し、 安定した走りでウイリアムズの2人に見えないプレッシャーを与え続けた結果だと思う。

そして何より、ホンダがF1活動休止を発表した直後のレースで、ホンダF1通算70勝目をプレゼントした。 本田宗一郎氏が亡くなった直後の91年ハンガリーGPで 5戦ぶりの優勝をした時のように、この辺がいかにもセナらしい。 ホンダのスタッフの方々の想いもひとしおだったのではないかと思う。

結果的にこれがセナ+ホンダの最後の優勝になってしまったが、 93年以降もセナの中にはホンダスピリッツが流れていたのではないかと感じる。 高度にビジネス化された近代F1の中で、セナとホンダは固い友情・信頼関係で結ばれていた。

今頃、セナと本田宗一郎氏は天国で酒を酌み交わしながら、現在のF1を見つめているのかもしれない。 同時に、セナが生きていて第3期ホンダF1活動にも何らかの形で加わってほしかったと思うのは 私だけではないはずだ。



毎戦パワーアップしたエンジンを持ち込み、それを天才レーサーが芸術的に操る…。

あの頃の熱狂と興奮…。

セナとホンダ…それは私にとっての「F1」そのものだった。




予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 ナイジェル・マンセル  ウイリアムズ・ルノー  1'22"221
2位
 アイルトン・セナ  マクラーレン・ホンダ  1'22"822
3位
 ジャン・アレジ  フェラーリ  1'22"976
4位
 リカルド・パトレーゼ  ウイリアムズ・ルノー  1'23"022
6位
 ゲルハルト・ベルガー  マクラーレン・ホンダ  1'23"112
6位
 ミハエル・シューマッハー  ベネトン・フォード  1'23"022


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 アイルトン・セナ  マクラーレン・ホンダ  1゚18'15"349
2位
 マーティン・ブランドル  ベネトン・フォード  1゚18'32"399
3位
 ミハエル・シューマッハー  ベネトン・フォード  1゚18'39"722
4位
 ゲルハルト・ベルガー  マクラーレン・ホンダ  1゚19'40"839
5位
 リカルド・パトレーゼ  ウイリアムズ・ルノー  1゚19'48"507
6位
 アンドレア・デ・チェザリス  ティレル・イルモア  1Lap
 
     
FL
 ナイジェル・マンセル  ウイリアムズ・ルノー  1'26"119




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