1993年 イタリアGP


1993年9月10-12日
イタリア アウトドローモ・ナツィオナーレ・ディ・モンツァ

予選:4位 決勝:リタイア


シーズンも4分の3を消化し、チャンピオンシップも佳境に入る。 シーズン序盤は思わぬつまずきもあったプロスト(ウイリアムズ)だったが、夏の間に着実にポイントを稼ぎ、 このイタリアGPの結果次第ではチャンピオンが決まる。

一方、夏に失速した感があるマクラーレンだったが、こちらも終盤戦に向けて上昇傾向にある。 中盤戦はベネトンにあれだけ差をつけられていたものの、 このイタリアから最終戦オーストラリアまでは全てのレースの予選で、 セナはシューマッハー(ベネトン)を上回ることになる。

このマクラーレンのパフォーマンス向上は、セナの忠告によってマシンが改良され、 高速コーナーでのマシンのバランスが向上したことが大きかったようだ。 マシンを改良し、より速いものにするのもF1ドライバーの仕事である。 セナは技術者として、マシン開発にも非常に優れていた。

予選は、ここモンツァでアレジ(フェラーリ)がティフォシ(熱狂的フェラーリファン)の前で素晴らしい走りを見せた。 金曜・土曜ともにプロスト、ヒル(ウイリアムズ)、アレジ(フェラーリ)、セナの順。 セナは決勝レースでの自信をのぞかせる。

「信頼性、バランスのいいセッティング、そしていいスタートをすることがレースで結果を残すためのカギだ。」

しかし気合が入り過ぎてしまったのか、決勝レースのスタートでは果敢に前に出ようとするが、 ホームストレートからだんだん走行ラインが狭くなっていく第1シケインで、 セナの前輪がヒルの後輪に乗り上げマシンが斜めになり、 体勢を立て直すために一時的にコースアウトを余儀なくされた。

「僕はアレジについていった。僕たちはヒルを捕らえたよ。でも、ヒルは外側のラインを譲らず、接触してしまった。 結構強くあたったけれど、少なくとも正しい方向に着地できたのがよかったよ。」

セナは1周目を10位で通過し、その後も前を目指し順位を上げていく。 しかし8位まで順位を上げた9周目、7位のブランドル(リジェ)に追突し2台はダメージを負いながらコースアウト、 その場でリタイアした。セナは追突直前、ステアリングの右側にあるボタン?でブレーキバランスを変えている。
(放送されたフジテレビの映像で確認できます。)

「リア・ブレーキの利きが甘く、ブランドルに出くわしたときに、持ちこたえられなかった。 彼とすごく近いところにいて、ダウンフォースがなかったからマシンのリアにグリップがとれなかったんだ。」

セナはブレーキバランスを調整したが、セナの思った通りにはブレーキが機能しなかったのかもしれない。 レースはプロストが残り5周でエンジンブローし、ヒルが3連勝。王座決定は次戦以降に持ち越された。 セナはチャンピオンへの望みが完全に消滅し、さらにポイントランキングもヒルに抜かれ3位に後退した。

ちなみにセナのチームメイトのアンドレッティは3位で初の表彰台をものにした。 しかし彼はこのレースをもってF1を去り、次戦からはハッキネンがマクラーレンに乗ることになる。 このレースではあまりいいところが見せられなかったセナだったが、 マクラーレンのマシンポテンシャル向上とともに、ハッキネンの実戦登場により、 終盤戦に向けてさらにモチベーションを高めていくのだった。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 アラン・プロスト  ウイリアムズ・ルノー  1'21"179
2位
 デイモン・ヒル  ウイリアムズ・ルノー  1'21"491
3位
 ジャン・アレジ  フェラーリ  1'21"986
4位
 アイルトン・セナ  マクラーレン・フォード  1'22"633
5位
 ミハエル・シューマッハー  ベネトン・フォード  1'22"910
6位
 ゲルハルト・ベルガー  フェラーリ  1'23"150


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 デイモン・ヒル  ウイリアムズ・ルノー  1゚17'07"509
2位
 ジャン・アレジ  フェラーリ  1゚17'47"521
3位
 マイケル・アンドレッティ  マクラーレン・フォード  1Lap
4位
 カール・ベンドリンガー  ザウバー  1Lap
5位
 リカルド・パトレーゼ  ベネトン・フォード  1Lap
6位
 エリック・コマス  ラルース・ランボルギーニ  2Laps
リタイア
 アイルトン・セナ  マクラーレン・フォード  8周、アクシデント
 
     
FL
 デイモン・ヒル  ウイリアムズ・ルノー  1'23"575




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