地元ブラジルではマシントラブルでリタイアを余儀なくされ、静かにF1デビューを飾ったセナだったが、
与えられた状況の中ですぐに結果を出していく。 金曜予選は油圧低下で思うようなアタックができずに14位。 セナは金曜予選後、「明日は0.7秒速くなる」と予想したそうだ。 そして土曜予選では本当に0.7秒速くなり、このセッションは11位、 2日間の予選全体では13番手になった。 セナは限界を察知しすべてを計算し、そしてその限界までマシンをコントロールしていたのかもしれない。 決勝前にも「メカニカルな問題が起こらなければ、ポイントゲットはできる」と語っていたそうだ。 その決勝レースでセナは少し順位を落としながらも無難なスタートを切るが、 序盤にすぐに何かがノーズに接触し、ノーズの一部が外れてしまった。 セナはピットインでのタイムロスを嫌ってこのまま不安定なマシンをコントロールし、 ブーストを下げて走りきることを決断した。 キャラミ サーキットは標高が高く気圧が低いのに加えて、暑さによって次々とリタイアしていった。 しかしセナは不安定なマシンを必死にコントロールし、かつ着実な走りで順位を上げていった。 計算されたように一定のラップタイムを繰り返していた。 セナは42周目には9番手まで上がり、 そして最終的には3周遅れながら最後までペースを崩さず、 6位でフィニッシュ、初入賞を飾った。 しかしセナはレース後、その過酷なコンディションから脱水症状を起こしほぼ気絶状態で、 津川哲夫さんらメカニックによってマシンから助け出され、そのまま病院に運ばれた。 F1初完走、それもノーズを壊し曲がらないマシンを必死にコントロールしていたことも 影響したのかもしれない。 確かにデビュー当時、セナには体力に問題があった。 しかしセナはすぐにその問題を認識し、克服するために、 ヌノ・コブラというトレーナーとともに肉体改造を行っていく。 ヌノ・コブラは、必要以上に筋肉を強化しようとはせず、 心臓の鼓動と完璧に調和する呼吸によって持久力をつけることを心掛けていた。 最終的にセナは、無駄なエネルギーを浪費し判断能力を燃焼させないために、 自らの心拍数をもコントロールしていたという。 強靭な体と言うより、高度にバランスの取れたしなやかな肉体とでも言えるかもしれない。 セナはその後も1991年のブラジルGPのように、体力不足かと思われるシーンも見られた。 しかしプロストのレーナーのピエール・バレディエは次のように語っている。 「アイルトンが時には身体的な問題に陥るのは、決して、 彼の肉体が他のドライバーより劣っているわけではない。 普通のドライバーなら走れない状態になっても、彼は肉体を越えた力を探しに行くんだ」 (「Sports Graphic Number PLUS F1 未知への疾走」より) セナが疲れ切っている時も、それはセナの体力不足ではなく、 常に全身全霊をかけて走っていたからに他ならないと思う。 どんな過酷なレース後でもケロッとしているシューマッハーもすごいと思うが、 常にすべてを出し切り完全燃焼しているかのようなセナの走りは素晴らしいし、 2年目以降は決して体力的問題はなかったと思う。 思えば、セナはデビューしてから最後の瞬間まで、常に全力だったのかもしれない。 だからこそセナの走りは、多くの人の記憶に焼くついているのだと思う。 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
PP |
ネルソン・ピケ | ブラバム・BMW | 1'04"871 |
2位 |
ケケ・ロズベルグ | ウイリアムズ・ホンダ | 1'05"058 |
3位 |
ナイジェル・マンセル | ロータス・ルノー | 1'05"125 |
4位 |
パトリック・タンベイ | ルノー | 1'05"339 |
5位 |
アラン・プロスト | マクラーレン・TAGポルシェ | 1'05"354 |
6位 |
テオ・ファビ | ブラバム・BMW | 1'05"923 |
13位 |
アイルトン・セナ | トールマン・ハート | 1'06"981 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
優勝 |
ニキ・ラウダ | マクラーレン・TAGポルシェ | 1゚29'23"430 |
2位 |
アラン・プロスト | マクラーレン・TAGポルシェ | 1゚30'29"380 |
3位 |
デレック・ワーウィック | ルノー | 1Lap |
4位 |
リカルド・パトレーゼ | アルファロメオ | 2Laps |
5位 |
アンドレア・デ・チェザリス | ロータス・ルノー | 2Laps |
6位 |
アイルトン・セナ | トールマン・ハート | 3Laps |
FL |
パトリック・タンベイ | ルノー | 1'08"877 |