1984年 サンマリノGP


1984年5月3-5日
イタリア アウトドローモ・エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ(イモラ)

予選:28位 決勝:―


2戦連続完走(のちにティレルの水タンクレギュレーション違反により繰り上げ入賞)を果たし、 確実に一歩一歩F1でのサクセスロードを歩み始めたセナだったが、 ここサンマリノではチーム・タイヤメーカー間でのトラブルに足を引っ張られることになる。

トールマンはF2に参戦している時からピレリタイヤと共同体制で戦ってきた。 しかし最近ではトールマンとピレリの関係は決して良い状態が続いていなかったようだ。 トールマン側の主張としては、ピレリはチームからの要求に全く耳を貸さず、 性能的にも不満を感じていたという。

そしてトールマンは新たなタイヤメーカーとしてミシュランを履いてテストをし、契約も間近だった。 ミシュランタイヤを装着したトールマンは見違えるように速くなり、 またミシュラン側もデビュー間もないセナのマシン開発能力に驚かされた。

しかしサンマリノGPが開催されるイタリアはピレリの地元ということもあり、 ミシュランタイヤへの変更とその発表はこのレースが終わってからにしようとしていた。 ところがここにきてトールマンとピレリの間で金銭トラブルも生じ、関係は一気に悪化し、 予選初日はタイヤが供給されず走ることができなかった。  (トールマンが、ピレリからの敵対行為を避けるために出場しなかった、という説もある。)

土曜にはなんとかタイヤは供給されるようになったが、午前中には雨が降り、 午後の予選では燃料系統のトラブルが発生し満足にアタックできなかった。 結局予選は28位で終わり、決勝レースへの出場はならなかった。(当時は予選26位までが決勝レース出場)

おそらくは20年を越えるセナのレース人生の中でも唯一の予選落ちだったのだろう。 セナは後に前人未到の65回のPPを記録し、 このイモラでも翌85年から91年まで7年連続で一番時計を叩き出すことになる。(ともにF1最多記録)  そんなことを考えると、セナにとっては逆に貴重な週末だったのかもしれない。

セナは決勝レースへ出場できなかったことを残念に思う一方で、 シーズンを通して考えればミシュランタイヤへの変更は正しい判断であったと、 前向きに次のレースへ目が向いていた。



それが20年前のイモラでの出来事だった。

そしてその10年後、セナは65回目のPPからトップを走ったまま伝説になる。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 ネルソン・ピケ  ブラバム・BMW  1'28"517
2位
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1'28"628
3位
 ケケ・ロズベルグ  ウイリアムズ・ホンダ  1'29"428
4位
 ディレック・ワーウィック  ルノー  1'29"682
5位
 ニキ・ラウダ  マクラーレン・TAGポルシェ  1'30"325
6位
 ルネ・アルヌー  フェラーリ  1'30"411
28位
 アイルトン・セナ  トールマン・ハート  1'41"585、予選落ち


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1゚36'53"679
2位
 ルネ・アルヌー  フェラーリ  1゚37'07"095
3位
 エリオ・デ・アンジェリス  ロータス・ルノー  1Lap
4位
 デレック・ワーウィック  ルノー  1Lap
5位
 テイリー・ブーツェン  アロウズ・フォード  1Lap
6位
 アンドレア・デ・チェザリス  リジェ・ルノー  2Laps
 
     
FL
 ネルソン・ピケ  ブラバム・BMW  1'33"275




TOPへもどる