1984年 アメリカGP


1984年7月6-8日
アメリカ ダラス市街地コース

予選:6位 決勝:リタイア


2戦続けての「アメリカ・シリーズ」は、デトロイトからダラスに舞台を移す。 セナはカナダから連続でシングルグリッドを獲得。 新シャシーの投入、ハートエンジンのパワーアップ、 ミシュランタイヤへの変更など、マシンは確実に進歩している。 しかしそんなマシンの戦闘力向上とは逆に、 セナとトールマンチームとの間には新たな亀裂が生まれようとしていた。

ダラスは予選から気温40度の灼熱地獄のなかで開催された。 セナはアイスキューブをレーシングスーツのなかに入れてドライブしていたという。 金曜予選は5位、土曜予選はあまりの気温上昇のためにコース表面が剥がれはじめ、 チームとして不参加を決定する。

しかし、話し合いもないチーム側の一方的な決定に、セナは不満を隠せない。
「僕は午前中にこのサーキットで実際に走っている。 そうだとすれば、僕が一番コースコンディションを知っているんだ」  (「生涯 アイルトン・セナ」より)

この一件で、セナとトールマンチームとの間に亀裂が生じ、 翌年のロータス移籍を加速させていったのかもしれない。 結局、土曜予選が終わるとセナは金曜から1つポジションを落として6番グリッドからのスタートになった。 初めての3列目スタートになったが、後味は決して良いものではなかっただろう。

決勝レースは、オープニングラップで4位までジャンプアップするが、 2周目にウォールにヒットしてスピン、タイヤ交換を余儀なくされる。 セナは23位でコースに戻るが、その9周後には全く同じ場所で同じミスをし、 再びタイヤ交換のためピットへ。

最後尾に落ち、セナのレースは終わったも同然だったが、 38周目にパーマー(RAM)をオーバーテイクするなど、 ピットアウト後も再び果敢な走りを見せる。 しかし49周目、ドライブシャフトが折れてしまいレースを終えた。

ちなみにセナはレース中、シートベルトを外して走っていた。 これは股の周りをきつく締め過ぎてしまったためで、 危険を承知で走り続けていたようだ。

「こんな状態では、血の循環が悪くなって、足の感覚もなくなってしまう」
「(ベルトを外し)それでずいぶん楽になった」 (「生涯 アイルトン・セナ」より)

このことや、異常な高温がセナの集中力を乱したのかもしれない。 2戦続けてセナらしからぬミスを犯してしまい、今思うと信じられない気もするが、 逆に考えるとこのような経験があったからこそ、 後のモナコやデトロイト、 フェニックスなどの市街地での圧倒的な強さにつながっていったのかもしれない。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 ナイジェル・マンセル  ロータス・ルノー  1'37"041
2位
 エリオ・デ・アンジェリス  ロータス・ルノー  1'37"635
3位
 デレック・ワーウィック  ルノー  1'37"708
4位
 ルネ・アルヌー  フェラーリ  1'37"785
5位
 ニキ・ラウダ  マクラーレン・TAGポルシェ  1'37"987
6位
 アイルトン・セナ  トールマン・ハート  1'38"256


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 ケケ・ロズベルグ  ウイリアムズ・ホンダ  2゚01'22"617
2位
 ルネ・アルヌー  フェラーリ  2゚01'45"081
3位
 エリオ・デ・アンジェリス  ロータス・ルノー  1Lap
4位
 ジャック・ラフィット  ウイリアムズ・ホンダ  2Laps
5位
 ピエルカルロ・ギンザーニ  オゼッラ・アルファロメオ  2Laps
6位
 ナイジェル・マンセル  ロータス・ルノー  3Laps、ギアボックス
リタイア
 アイルトン・セナ  トールマン・ハート  48周、ドライブシャフト
 
     
FL
 ニキ・ラウダ  マクラーレン・TAGポルシェ  1'45"353




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