1984年 イタリアGP


1984年9月7-9日
イタリア アウトドローモ・ナツィオナーレ・ディ・モンツァ

予選:― 決勝:―


ロータスチームは前戦オランダGPで、翌1985年のセナの獲得を発表した。 トールマンとセナの間には翌年の契約が残っていたが、 セナはロータスと極秘に契約の話を進めていた。 これに対しセナが所属しているトールマンチームは、 契約違反の罰則としてセナにイタリアGPの出走を認めなかった。

ロータスチームとセナはまだ正式に契約を結んでいなく、 セナはプレス発表を承諾していなかったようだ。 そしてセナの知らないところで物事は進んでいった。

「この件に関しては一切発言するつもりはなかったし、トールマンの関係者 と直接話し合うつもりだった。これ以上事を荒立てたくはないんだ。僕はモータースポーツがしたいだけなんだよ」



セナが自らのステップアップのために契約を破棄して新たなチームと契約した一方で、 後に鈴木亜久里と片山右京はそれぞれベネトンからオファーを受け、そしてそれを断っている。

鈴木は「自らの移籍によって所属しているラルースチームが財政難に陥り、 チームそのものの存続の危機が迫る」との理由。 また片山は「フレンドリーで居心地がよいティレルチームとの契約が残っていて、 ティレルを裏切ることはできない」などの理由のために、自らのステップアップを放棄したようだ。

このあたりがもしかしたら「日本人的情の厚さ」や「日本人的やさしさ」なのかもしれない。 しかしだからといって彼らの行動が100%正しく、 セナの行動が人間として間違っている、とは言えない。

セナも非常に情に厚く、常に一人の人間として正しい行動をしていたことは周知の事実である。 ただセナは、世界一になるという目標・志向のためにF1に乗り込んできた。

おそらくセナは、すべてのことを理解し、飲み込んだ上で「自らのF1での目的」を再確認し、行動したのだと思う。 時に非人道的とも捉えられるような行動・言動もあったかもしれないが、 心の底で葛藤し、最も辛い思いをしていたのはセナだったのかもしれない。

こうしてセナは、モータースポーツ界の頂点に立つという目的のために、 マシンだけでなくその激しい情をも、時には意図的に完全にコントロールして、 頂点への階段を上っていった。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 ネルソン・ピケ  ブラバム・BMW  1'26"584
2位
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1'26"671
3位
 エリオ・デ・アンジェリス  ロータス・ルノー  1'27"538
4位
 ニキ・ラウダ  マクラーレン・TAGポルシェ  1'28"533
5位
 テオ・ファビ  ブラバム・BMW  1'28"587
6位
 ケケ・ロズベルグ  ウイリアムズ・ホンダ  1'28"818


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 ニキ・ラウダ  マクラーレン・TAGポルシェ  1゚20'29"065
2位
 ミケーレ・アルボレート  フェラーリ  1゚20'53"314
3位
 リカルド・パトレーゼ  アルファロメオ  1Lap
4位
 ステファン・ヨハンソン  トールマン・ハート  2Laps
5位
 ヨー・ガルトナー  オゼッラ・アルファロメオ  2Laps、未登録で得点対象外
6位
 ゲルハルト・ベルガー  ATS・BMW  2Laps、未登録で得点対象外
 
     
FL
 ニキ・ラウダ  マクラーレン・TAGポルシェ  1'31"912




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