1984年 ポルトガルGP


1984年10月19-21日
ポルトガル アウトドローモ・ド・エストリル

予選:3位 決勝:3位


長かったF1デビュー1年目も最終戦を迎えた。 開幕当初は中堅以下のチームだったが、そんな状況の中でも確実に結果を残し、 マシンも改良されて上位争いをするまでになった。 雨のモナコなどで見られたようなドライビングテクニックとともに、 マシンを速くしていくという開発能力にも長けていることが証明された。

エストリルはF1初開催。 セナはカート選手権でエストリルに来たことがあり、 またポルトガルはブラジルと関係が深く、同じ言語を話すこともあり、リラックスしてレースに臨む。 マシンも好調で、フリー走行、予選から上位争い。 金曜予選は6位。土曜午前のフリー走行ではトップタイムをマーク。 午後の予選では3位だったもののPPピケ(ブラバム)に僅か0.23秒差で、 決勝レースに期待をのぞかせた。

このレースは、ラウダ(マクラーレン)とプロスト(マクラーレン)の王座決定戦でもあった。 ラウダ66ポイント、プロスト62.5ポイント… プロストが優勝してもラウダが2位になればラウダの3度目のチャンピオンが決まる。 ラウダは予選11位で、ここから追い上げなければならない。

他のドライバー達の間では、ラウダが迫ってきたら道を譲ろうという暗黙の空気が流れていたが、 1年目のセナだけは違っていた。
「彼が勝つつもりでいるなら、自分の力で勝利をつかむべきだよ」 (「生涯 アイルトン・セナ」より)と、あくまで自身のレース哲学を貫く姿勢。

決勝レースではセナはポジションを1つ落として4位でオープニングラップを終える。 セナの前には、ロズベルグ(ウイリアムズ)、マンセル(ロータス)、プロストの順。 序盤はロズベルグが好スタートをきったが、プロストがジリジリと追い上げ、9周目にプロストがトップに躍り出た。 少しずつ後退していくロズベルグにセナも追いつき、19周目にセナが3位に上がった。

ロズベルグをかわしてから、セナはしばし3位を走行。 しかし後方からは王座を狙うラウダが近づいてきた。 セナは「譲るつもりはない」とレース前に語っていたが、マクラーレンとトールマンのマシン性能差は如何ともし難く、 33周目にラウダに3位の座を奪われる。

上位はプロスト、マンセル、ラウダ、セナの順。 セナは中盤以降、単独4位で淡々と周回を重ねる。 しかし52周目にマンセルがブレーキのトラブルで後退し、労せずして3位に浮上。 以降は、エンジンのミスファイヤに悩まされながらもマシンを労わりつつゴールまで導いた。

優勝はプロスト、2位ラウダ。これでわずか0.5ポイント差でラウダのチャンピオンが決まった。 プロストは心からラウダを祝福。ラウダもプロストに「来年はキミの番だよ」とささやいたという。 この2人にはライバルというより師弟関係が築かれていたのかもしれない。 プロストは速さや優勝回数ではラウダを上回っていたが、ラウダのしたたかさに敗れた。 プロストはラウダから多くを学び、のちにセナに対してラウダから学んだしたたかさで対抗していくことになる。

表彰台にはプロスト、ラウダ、セナ。 時代はラウダからプロストへと変わろうとしていた。 そしてそのプロストを追いかけるように、セナも翌年への期待をさらに大きくさせるような好走を見せた。 70年代~90年代…時代を代表する名手たちが、ひととき一つのポディウムで交差した。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 ネルソン・ピケ  ブラバム・BMW  1'21"703
2位
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1'21"774
3位
 アイルトン・セナ  トールマン・ハート  1'21"936
4位
 ケケ・ロズベルグ  ウイリアムズ・ホンダ  1'22"049
5位
 エリオ・デ・アンジェリス  ロータス・ルノー  1'22"291
6位
 ナイジェル・マンセル  ロータス・ルノー  1'22"319


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1゚41'11"753
2位
 ニキ・ラウダ  マクラーレン・TAGポルシェ  1゚41'25"178
3位
 アイルトン・セナ  トールマン・ハート  1゚41'31"795
4位
 ミケーレ・アルボレート  フェラーリ  1゚41'32"070
5位
 エリオ・デ・アンジェリス  ロータス・ルノー  1゚42'43"922
6位
 ネルソン・ピケ  ブラバム・BMW  1Lap
 
     
FL
 ニキ・ラウダ  マクラーレン・TAGポルシェ  1'22"996




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