1986年 ベルギーGP


1986年5月23-25日
ベルギー スパ・フランコルシャン サーキット

予選:4位 決勝:2位


5月14日、85年のチームメイトであったエリオ・デ・アンジェリス(ブラバム)が ポールリカールでのテスト中にクラッシュし、翌日亡くなった。 優勝3回、PP2回を果たし、コーリン・チャップマン亡き後のロータスの建て直しも貢献。 彼は「最後のジェントルマン・ドライバー」とも呼ばれた実力派だった。



ドライバーの腕が試されるスパ・フランコルシャン。 前年セナはここで初レース、さらに雨の難しい展開の中を制し、ドライバーとしての地位をさらに高めた。 速さとともに安定感も増してきたセナに、今回も好走が期待される。

予選ではダウンフォースを強めにし、85年型マシン 97T のリア・サスペンションを用いる。 金曜は5位だったが土曜になるとバランスが向上し3位へ。だが土曜のアタック中に3速が飛んでしまうというとトラブルが発生。 これがなければタイムアップ、さらにはPPも可能だったかもしれない。2日間の予選全体では4位。

ちなみに金曜予選では、ロズベルグ(マクラーレン)のアタックを妨害したとして、彼から「説教」を受ける。 しかしセナは大して反省した様子も見せなかったという。 シューマッハーもそうだったが、 まだ立場が完全でない若い頃は意図的に強がり、屈しない自分を演じていたのかもしれない。

決勝レースでは、スタートでピケ(ウイリアムズ)が飛び出し、セナはベルガー(ベネトン)、プロスト(マクラーレン)と 並んで1コーナーのラ・ソースへ。セナはうまく抜け出し2位に浮上し、ベルガーとプロストは接触し大きく遅れていく。

序盤戦はピケ、セナの順で周回を重ねていく。しかしトップを行くピケは17周目にエンジントラブルで脱落。 労せずしてセナが1位に躍り出る。セナはその後5周にわたりレースをリードしていく。

20周を過ぎた頃になるとタイヤ交換のため各チームのピットが忙しくなる。 セナも22周目にピットイン。しかしコースに戻ろうとしたその時、 目の前をマンセル(ウイリアムズ)が走り抜けていった。

マンセルを追うセナだったが、ずっとアンダーステアに悩まされていた。 終盤になるとフロントタイヤのグリップもなくなり、 燃料も心配だったので、確実に2位でゴールすることを優先したという。 結局、マンセルには届かなかったものの危なげない走りで、難コースであるスパを43周走りきった。

「…リスクを冒してすべてを失うよりも、6ポイントを獲得する方を選んだ。その選択は間違ってなかったと思っている」  (「生涯 アイルトン・セナ」より)

セナの目標はあくまで「勝利」であり、「2位や3位のためにレースをしているわけではない」と語っていたが、 同時に状況に応じて冷静に判断し最善の策を取る術をこの頃すでに備えていたように思えた。 セナは総合的なマシン性能はウイリアムズやマクラーレンに劣るものの、この時点でポイントリーダーに躍り出ていた。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 ネルソン・ピケ  ウイリアムズ・ホンダ  1'54"331
2位
 ゲルハルト・ベルガー  ベネトン・BMW  1'54"468
3位
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1'54"501
4位
 アイルトン・セナ  ロータス・ルノー  1'54"576
5位
 ナイジェル・マンセル  ウイリアムズ・ホンダ  1'54"582
6位
 テオ・ファビ  ベネトン・BMW  1'54"765


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 ナイジェル・マンセル  ウイリアムズ・ホンダ  1゚27'57"925
2位
 アイルトン・セナ  ロータス・ルノー  1゚28'17"752
3位
 ステファン・ヨハンソン  フェラーリ  1゚28'24"517
4位
 ミケーレ・アルボレート  フェラーリ  1゚28'27"559
5位
 ジャック・ラフィット  リジェ・ルノー  1゚29'08"615
6位
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1゚30'15"697
 
     
FL
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1'59"282




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