1986年 オーストラリアGP


1986年10月24-26日
オーストラリア アデレード市街地コース

予選:3位 決勝:リタイア


F1は南米のメキシコから、同じく初夏の南半球・オーストラリアへ。 ポイント上、3人がチャンピオンの権利があるという混戦の中で最終戦を迎えた。

マンセル(ウイリアムズ)70ポイント
プロスト(マクラーレン)64ポイント
ピケ(ウイリアムズ)63ポイント

マンセルは3位以内でフィニッシュすれば無条件で王座獲得という、圧倒的に有利な状況だった。

一方セナは、マシンポテンシャル的にウイリアムズやマクラーレンに劣るものの、 2回の優勝、そして誰よりも多い8回のPPを獲得するなど、常に光る走りを見せていた。 第14戦でチャンピオンの可能性は完全になくなったが、 レーサーとしての本能に従い、いつものように精神を研ぎ澄ませ全力を尽す。

予選では、金曜日は予選用マシンでクラッシュしたため、レース用マシンでアタックし6位。 土曜日はレース用タイヤでタイムを上げていくが、 セッションが進むにつれて気温・路面温度が上がりすぎたのか、コースコンディションは悪化し、 途中からタイムアップならず3位に留まる。

決勝朝のウォームアップ走行ではトップタイムをマークする。 しかしロータスのマシンは燃費が厳しく、 ウイリアムズやマクラーレンのペースにはついていけないことをこのときすでに実感していた。

決勝レースでは、セナが好スタートを切って一気に1位にジャンプアップした。 しかし燃費のこと、レース全体のことを考えると無理のできないセナは、 すぐにピケとロズベルグ(マクラーレン)に成す術なく抜かれていく。 さらに4周目にはプロスト、7周目にはマンセルにも抜かれ、セナはしばし5位を走行する。

セナは、チャンピオンがかかっているウイリアムズ、マクラーレンの2チーム4台の後ろで中盤まで我慢の走行。 しかし42周目エンジンがブローし、何もできないままリタイアを余儀なくされた。

レースはマンセルがまさかのタイヤバーストで脱落。 最後はプロストとピケの一騎打ちになり、2位ピケが必死の追い上げを図るが4秒届かず。 強力なホンダエンジンに対し、不利とされていたプロストが大逆転し2年連続の王座に輝いた。

こうしてF1史上でも稀に見る劇的なシーズンは終わった。 またこのレースで82年のワールドチャンピオン、ロズベルグが引退。 最後はタイヤバーストに終わったものの、中盤までレースを引っ張り、 チームメイトのプロストの王座獲得を演出する走りを見せた。

セナはこのレースでは残念ながら不運なトラブルでリタイアしてしまったが、 シーズンを通して速さとともに安定感も増し、チャンピオンへの階段を確実に昇っている感がした。 ロータスは長年親しんだJPSカラーともお別れし翌年からはキャメルイエローに一新。 さらに中嶋悟とホンダエンジンを得る。

そして翌年からはフジテレビのF1中継も始まる。 セナは日本のファンにも「若き才能」を見せつけ、またレースへの献身的な姿勢など、 日本人はセナに共感・魅了され、空前のF1ブームを築いていくのだった。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 ナイジェル・マンセル  ウイリアムズ・ホンダ  1'18"403
2位
 ネルソン・ピケ  ウイリアムズ・ホンダ  1'18"714
3位
 アイルトン・セナ  ロータス・ルノー  1'18"906
4位
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1'19"654
5位
 ルネ・アルヌー  リジェ・ルノー  1'19"976
6位
 ゲルハルト・ベルガー  ベネトン・BMW  1'20"554


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1゚54'20"388
2位
 ネルソン・ピケ  ウイリアムズ・ホンダ  1゚54'24"593
3位
 ステファン・ヨハンソン  フェラーリ  1Lap
4位
 マーティン・ブランドル  ティレル・ルノー  1Lap
5位
 フィリップ・ストレイフ  ティレル・ルノー  2Laps
6位
 ジョニー・ダンフリーズ  ロータス・ルノー  2Laps
リタイア
 アイルトン・セナ  ロータス・ルノー  43周、エンジン
 
     
FL
 ネルソン・ピケ  ウイリアムズ・ホンダ  1'20"787




TOPへもどる