1987年 ブラジルGP


1987年4月10-12日
ブラジル アウトドローモ・インターナショナル・ド・リオ・デ・ジャネイロ(ジャカレパガ)

予選:3位 決勝:リタイア


ロータスはこの年から、セナの念願だったホンダエンジンを獲得。 チームカラーもJPSブラックからキャメルイエローへ。 チームは変革の時期を迎えていたが、この頃のロータスは試作段階のアクティブ・サスペンションを搭載し、 重く安定性に欠けるシャシーになってしまった。

セナは「ロータス・ホンダ」初めてのテストの最初の数周を走っただけで、 この1年の大まかな成績を予測し、このマシンではチャンピオンは取れないということを悟ってしまったようだ。 しかしだからといって手を抜くセナではなく、限られた状況の中で常に全力でレースに臨んでいった。

開幕戦は母国ブラジル。このレースで、日本人初のフルタイムF1ドライバーである中嶋悟がデビューした。 セナはF1では新人の中嶋にコースなどをアドバイスし、 中嶋もホンダエンジンの特性や情報をセナに提供していたようだ。

ちなみにこのレースからフジテレビのF1中継もスタート。 今宮純氏はこの頃から解説として活躍。日本を代表するモータースポーツ・ジャーナリストとして現在に至っている。

予選は金曜、土曜共に3位。終始アクティブサスの不安定な挙動に悩まされた。 セナの前には同じホンダエンジンを搭載しているウイリアムズのマンセルとピケ。PPマンセルには2秒以上離された。 ウイリアムズとロータスのシャシー性能の差は否めない。

レースはスタート直後にセナがマンセルを抜いて2位にジャンプアップ。 8周目、ピケのピットイン時に5周だけトップを走るが、セナ自身もハンドリングの問題が悪化し14周目にピットへ。 8位まで後退してしまう。

上位争いは10~20周目に順位が激しく変動するが、21周目以降は落ち着きを見せ始める。 トップはプロスト(マクラーレン)に変わり、セナも必死の追い上げで一時2位まで回復。 その後ピケ、ベルガー(フェラーリ)、マンセルと2~5位争い。

しかし4位走行の50周目、セナはエンジンに異変を感じマシンをコース脇の芝生に止めた。 ホンダのスタッフは当初、エンジンのトラブルを発見できずセナを疑ったが、 後にエンジンを分解してみるとピストンが焼け付く寸前だったようだ。 セナは正確なドライビングテクニックとともに、マシンのかすかな異常をも感じ取る繊細な感覚も備えていたのだ。

このような出来事を通じて、ホンダはセナをより信頼するようになり、 絆がより強くなっていった。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 ナイジェル・マンセル  ウイリアムズ・ホンダ  1'26"128
2位
 ネルソン・ピケ  ウイリアムズ・ホンダ  1'26"567
3位
 アイルトン・セナ  ロータス・ホンダ  1'28"408
4位
 テオ・ファビ  ベネトン・フォード  1'28"417
5位
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1'29"175
6位
 テイリー・ブーツェン  ベネトン・フォード  1'29"450


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1゚39'45"141
2位
 ネルソン・ピケ  マクラーレン・TAGポルシェ  1゚40'25"688
3位
 ステファン・ヨハンソン  マクラーレン・TAGポルシェ  1゚40'41"899
4位
 ゲルハルト・ベルガー  フェラーリ  1゚41'24"376
5位
 テイリー・ブーツェン  ベネトン・フォード  1Lap
6位
 ナイジェル・マンセル  ウイリアムズ・ホンダ  1Lap
リタイア
 アイルトン・セナ  ロータス・ホンダ  50周、エンジン
 
     
FL
 ネルソン・ピケ  ウイリアムズ・ホンダ  1'33"861




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