1987年 ベルギーGP


1987年5月15-17日
ベルギー スパ・フランコルシャン サーキット

予選:3位 決勝:リタイア


ベルギーGPといえば、日本の夏休みの終わりくらいに行われるイメージがあるが、 この年までは、コースコンディション悪化のために延期された1985年を除き、 序盤戦に行われることが多かった。 翌年以降は10年以上にわたって8月下旬~9月初旬くらいに行われることになる。

金曜、土曜ともに雨が絡んだ「スパ・ウエザー」の中でセッションは進んでいく。 金曜は完全な雨で各車ともベストラップから15秒ほど遅いタイム、セナは5位。 土曜になると雨が降ったり止んだりだがコースコンディションはほぼ回復する。 セナは高速部分でのマシンの不安定さを感じつつも、最強ウイリアムズ・ホンダ勢に続き3位。

決勝レースではスタートでセナはピケをかわしマンセルに続き2位につけるが、 後方で多重事故が発生し赤旗再スタート。 2回目のスタートではセナが1回目以上に素晴らしいダッシュを決めて、 1列目のウイリアムズ2台の間をスルスルと抜け出し、一気にトップへ浮上。 マンセル以下を従えてオールージュを駆け上がっていく。

トップを奪われたマンセルだったが、オープニングラップからすぐにセナ追撃に出る。 高速ブランシモン前の右コーナーでセナをアウトから強引にかわそうとした。 しかしこれには無理があり2台は接触。 スピンするようにコースアウトしセナはその場でリタイアを余儀なくされた。

マンセルは、セナがギアを入れ損なったか、あるいはエンジンが「躊躇」したようだったので、 左からセナを追い越そうとした、と主張した。

一方のセナは、
「あの手前のコーナーでは、マシンに何も起きなかったと断言できる。 僕はパワー全開で走った。ただし、たとえば、1000bhp馬力の強いマシン乗っていて、 ステアリングホイールについているブースト・ボタンを押したりしたら、 前のマシンが遅く走っているように感じてしまうだろうね。…

…でも、あんな場所で外側から追い越そうとするなんて、本当に信じられない。 僕はブレーキをいっぱいにかけて、なんとか彼に道をあけようとしたんだけど、 あの状況ではそれにも限りがあるからね。 すでにコーナーを回り始めていたからもう止まることなんてできなかった。」  (「アイルトン・セナ 天才ドライバーの素顔」より)

セナが冷静に状況を分析する一方で、 走り続けていたマンセルは17周目でレースをあきらめると、真っ先にロータスのピットへ向かった。 セナに謝るどころか、事故の責任はセナの方にあると確信し、怒りに燃えてやってきたのだ。 そしてセナの襟元をつかもうとした!  このときはロータスのメカニックが3人がかりでやっとマンセルを止めたようだ。

ホンダのエンジニアでのちにセナ担当になる木内健雄氏は、このレースが初めてのF1現場となったが、 いきなりセナとマンセルのこの光景を見て、一気にF1が好きになったという。 事故の是非はともかく、濃いキャラクターがそろっていて、 それぞれが真正面からぶつかっていた当時のF1に魅力を感じたのだろう。

当時のライバルたちの「魂のぶつかり合い」が、今となっては、いとおしい…。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 ナイジェル・マンセル  ウイリアムズ・ホンダ  1'52"026
2位
 ネルソン・ピケ  ウイリアムズ・ホンダ  1'53"416
3位
 アイルトン・セナ  ロータス・ホンダ  1'53"426
4位
 ゲルハルト・ベルガー  フェラーリ  1'53"451
5位
 ミケーレ・アルボレート  フェラーリ  1'53"511
6位
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1'54"186


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1゚27'03"217
2位
 ステファン・ヨハンソン  マクラーレン・TAGポルシェ  1゚27'27"981
3位
 アンドレア・デ・チェザリス  ブラバム・BMW  1Lap
4位
 エディー・チーバー  アロウズ・メガトロン  1Lap
5位
 中嶋 悟  ロータス・ホンダ  1Lap
6位
 ルネ・アルヌー  リジェ・メガトロン  2Laps
リタイア
 アイルトン・セナ  ロータス・ホンダ  0周、アクシデント
 
     
FL
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1'57"153




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