鈴鹿にF1がやってきた。1976、77年には富士スピードウェイでF1が行われたが、
それは2年で終わり、一時的な印象が強かった。
それから10年が経過し、1987年に初めて鈴鹿でF1レースが行われることになった。
フジテレビでの全戦中継も始まり、以後鈴鹿でのF1も定着、日本でのF1文化が浸透していくこととなる。 予選からいきなり鈴鹿に激震が走る。チャンピオン争いをしていたマンセル(ウイリアムズ)が、 金曜予選中、S字でコースアウト、クラッシュ。 背中を痛めてこの日本GPと次のオーストラリアGPの欠場を余儀なくされる。 この時点でピケ(ウイリアムズ)の3度目の王座が決定した。 鈴鹿はホンダのお膝元。セナにしてもホンダのためにいいレースを見せたいが、 ロータスのバランスに苦しみ、予選では不調。金曜9位、土曜に多少挽回して7位に上がる。 ロータスだけでなく、ウイリアムズのピケも5位といつもの速さが見られず、 最も勝ちたい鈴鹿でホンダ勢は出鼻をくじかれる。PPはフェラーリのベルガー。 セナのチームメイト、中嶋悟にとっては初の地元凱旋レース。予選は自己最高の11位と気合が入る。 レースはセナが好スタート。1コーナーでチャンピオンのピケ等をパスし4位に上がり、 さらにプロスト(マクラーレン)にトラブルが発生し、一気に3位に浮上。 12周目には2位走行のブーツェン(ベネトン)をかわし2位へ。 しかしセナの後ろにはピタリとピケがつける。 速さではピケのウイリアムズが優勢だったが、ピケはコーナー重視のセッティングをしていた。 セナはそのことを計算に入れ、ブレーキングをギリギリまで遅らせてスピードを落とさずにコーナーに侵入していたため、 ピケに付け入る隙を与えない。 25周目前後に各車タイヤ交換のためピットイン。ピケとの関係は変わらなかったが、 順位が落ち着くと2位にはヨファンソン(マクラーレン)が浮上。 再びセナとピケは3位争いを繰り広げるが、ピケは長時間、セナの背後に着きすぎていたためにラジエターにタイヤかすなどがたまり、 オーバーヒートでエンジンを壊してしまった。 ピケのプレッシャーはなくなったものの、セナの勢いは止まらない。2位のヨハンソンを猛追し、 ついにファイナルラップで逆転。ベルガーには届かなかったものの、ホンダ勢最高の2位で鈴鹿を終える。 中嶋悟も終始攻めの走りで6位入賞を果たした。 ちなみにフェラーリは38戦ぶりの優勝。今日のフェラーリの快進撃を考えると信じられないが、 フェラーリはしばしば絶頂期と不振期を繰り返しつつ、今日に至っている。 セナにしてみれば、ホンダの地元で2位表彰台ということで、最低限の仕事を果たしたといった感じだろうか? セナにとってはささやかな「鈴鹿デビュー」だったが、 翌年以降、数々の名勝負・名場面を残すことになる「鈴鹿伝説」は始まっていく。 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
PP |
ゲルハルト・バルがー | フェラーリ | 1'40"042 |
2位 |
アラン・プロスト | マクラーレン・TAGポルシェ | 1'40"652 |
3位 |
テイリー・ブーツェン | ベネトン・フォード | 1'40"850 |
4位 |
ミケーレ・アルボレート | フェラーリ | 1'40"984 |
5位 |
ネルソン・ピケ | ウイリアムズ・ホンダ | 1'41"144 |
6位 |
テオ・ファビ | ベネトン・フォード | 1'41"679 |
7位 |
アイルトン・セナ | ロータス・ホンダ | 1'42"723 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
優勝 |
ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 1゚32'58"072 |
2位 |
アイルトン・セナ | ロータス・ホンダ | 1゚33'15"456 |
3位 |
ステファン・ヨハンソン | マクラーレン・TAGポルシェ | 1゚33'15"766 |
4位 |
ミケーレ・アルボレート | フェラーリ | 1゚34'18"513 |
5位 |
テイリー・ブーツェン | ベネトン・フォード | 1゚34'23"648 |
6位 |
中嶋 悟 | ロータス・ホンダ | 1゚34'34"551 |
FL |
アラン・プロスト | マクラーレン・TAGポルシェ | 1'43"844 |