1987年 日本GP


1987年10月30日-11月1日
三重県 鈴鹿サーキット

予選:7位 決勝:2位


鈴鹿にF1がやってきた。1976、77年には富士スピードウェイでF1が行われたが、 それは2年で終わり、一時的な印象が強かった。 それから10年が経過し、1987年に初めて鈴鹿でF1レースが行われることになった。 フジテレビでの全戦中継も始まり、以後鈴鹿でのF1も定着、日本でのF1文化が浸透していくこととなる。

予選からいきなり鈴鹿に激震が走る。チャンピオン争いをしていたマンセル(ウイリアムズ)が、 金曜予選中、S字でコースアウト、クラッシュ。 背中を痛めてこの日本GPと次のオーストラリアGPの欠場を余儀なくされる。 この時点でピケ(ウイリアムズ)の3度目の王座が決定した。

鈴鹿はホンダのお膝元。セナにしてもホンダのためにいいレースを見せたいが、 ロータスのバランスに苦しみ、予選では不調。金曜9位、土曜に多少挽回して7位に上がる。 ロータスだけでなく、ウイリアムズのピケも5位といつもの速さが見られず、 最も勝ちたい鈴鹿でホンダ勢は出鼻をくじかれる。PPはフェラーリのベルガー。 セナのチームメイト、中嶋悟にとっては初の地元凱旋レース。予選は自己最高の11位と気合が入る。

レースはセナが好スタート。1コーナーでチャンピオンのピケ等をパスし4位に上がり、 さらにプロスト(マクラーレン)にトラブルが発生し、一気に3位に浮上。 12周目には2位走行のブーツェン(ベネトン)をかわし2位へ。 しかしセナの後ろにはピタリとピケがつける。

速さではピケのウイリアムズが優勢だったが、ピケはコーナー重視のセッティングをしていた。 セナはそのことを計算に入れ、ブレーキングをギリギリまで遅らせてスピードを落とさずにコーナーに侵入していたため、 ピケに付け入る隙を与えない。

25周目前後に各車タイヤ交換のためピットイン。ピケとの関係は変わらなかったが、 順位が落ち着くと2位にはヨファンソン(マクラーレン)が浮上。 再びセナとピケは3位争いを繰り広げるが、ピケは長時間、セナの背後に着きすぎていたためにラジエターにタイヤかすなどがたまり、 オーバーヒートでエンジンを壊してしまった。

ピケのプレッシャーはなくなったものの、セナの勢いは止まらない。2位のヨハンソンを猛追し、 ついにファイナルラップで逆転。ベルガーには届かなかったものの、ホンダ勢最高の2位で鈴鹿を終える。 中嶋悟も終始攻めの走りで6位入賞を果たした。

ちなみにフェラーリは38戦ぶりの優勝。今日のフェラーリの快進撃を考えると信じられないが、 フェラーリはしばしば絶頂期と不振期を繰り返しつつ、今日に至っている。

セナにしてみれば、ホンダの地元で2位表彰台ということで、最低限の仕事を果たしたといった感じだろうか? セナにとってはささやかな「鈴鹿デビュー」だったが、 翌年以降、数々の名勝負・名場面を残すことになる「鈴鹿伝説」は始まっていく。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 ゲルハルト・バルがー  フェラーリ  1'40"042
2位
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1'40"652
3位
 テイリー・ブーツェン  ベネトン・フォード  1'40"850
4位
 ミケーレ・アルボレート  フェラーリ  1'40"984
5位
 ネルソン・ピケ  ウイリアムズ・ホンダ  1'41"144
6位
 テオ・ファビ  ベネトン・フォード  1'41"679
7位
 アイルトン・セナ  ロータス・ホンダ  1'42"723


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 ゲルハルト・ベルガー  フェラーリ  1゚32'58"072
2位
 アイルトン・セナ  ロータス・ホンダ  1゚33'15"456
3位
 ステファン・ヨハンソン  マクラーレン・TAGポルシェ  1゚33'15"766
4位
 ミケーレ・アルボレート  フェラーリ  1゚34'18"513
5位
 テイリー・ブーツェン  ベネトン・フォード  1゚34'23"648
6位
 中嶋 悟  ロータス・ホンダ  1゚34'34"551
 
     
FL
 アラン・プロスト  マクラーレン・TAGポルシェ  1'43"844




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