88年8月、フェラーリの創始者、エンツォ・フェラーリがこの世を去った。
そしてその4週間後、エンツォ・フェラーリが亡くなって初めてのイタリアGPが開催された。 亡くなったエンツォのためにも、フェラーリはここで意地を見せたいところだが、 ここまでマクラーレン・ホンダが圧倒的な強さ・速さで11戦全勝。 さらにセナは4連勝中で、初のワールドチャンピオンに向けて誰も止められないような勢いであった。 セナは予選から4連勝中の勢いそのままの走りを見せる。 金曜予選はレースカーで1セットしかタイヤを使わず、残りはスペアカーでのアタックとなった。 これはスペアカーの調子を確かめるためだった。 そのスペアカーでシケインを直進し反省していたが、それでもチームメイトのプロストを抑えてトップタイム。 土曜日にはセナは自らのタイムをさらに0.2秒縮め、新記録となるシーズン10回目のPPを決めた。 決勝レースでは、スタートでプロストに先行されるが、すぐにプロストを抜き返しトップを守る。 その後セナはプロストを引き離しにかかる。プロストはエンジンのミスファイヤに悩まされていたが、 あえてペースを緩めなかったようだ。 プロストは、セナをプッシュすることでセナの燃費の減りを早くさせようという作戦だったらしい。 しかしセナはモナコのようにプロストの術中にはまることなく、ペースをコントロール。 逆にプロストはミスファイヤが原因でペースを落ち、ベルガー(フェラーリ)に抜かれて そのままピットに戻りレースを終えた。 2位にはベルガー、3位にはアルボレートのフェラーリ勢が浮上し追い上げていたが、 セナは後方との差をコントロールしながら周回を重ねていく。 しかし残り2周となった50周目に事件が起きる。 周回遅れのジャン・ルイ・シュレッサー(ウイリアムズ)にセナが追いついた。 そして第1シケインでシュレッサーはセナに進路を譲ろうとしたが、 シュレッサーはここでブレーキングのミスでコントロールを失う。 セナはそれを見て一気にシケインに進入するが、シュレッサーも必死にコースに戻ろうとしたため、 2台は接触してしまった。 セナのマシンは縁石に弾き飛ばされストップし、代わってベルガーとアルボレートが通り過ぎていった。 レースはこのままフェラーリの劇的な1-2フィニッシュで終わった。 セナは10位完走扱いで、マクラーレン・ホンダの開幕からの連勝記録は11で止まった。 シュレッサーは、病欠のマンセルに代わってスポット参戦していた。 さらにシュレッサーの伯父は、かつてホンダの実験的な空冷マシンで事故死したジョー・シュレッサーだった。 エンツォ・フェラーリの死と、マクラーレン・ホンダの連勝を止めるフェラーリの劇的1-2。 そしてそれを演出したのが、かつてホンダに乗って事故死したドライバーの甥…。 接触自体はセナとシュレッサーがより注意することで避けられたものかもしれないが、 それにしても不可解な偶然が重なった。 セナはこの後、ポルトガル、スペインと、不本意なレースが続き、チャンピオンへ足踏みをする。 イタリアでの接触は、エンツォ・フェラーリがセナに与えた試練なのではないかとも私には感じられる。 しかしセナはこれらの試練を克服して、鈴鹿でチャンピオンを決めることになるのだった。 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
PP |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1'25"974 |
2位 |
アラン・プロスト | マクラーレン・ホンダ | 1'26"277 |
3位 |
ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 1'26"654 |
4位 |
ミケーレ・アルボレート | フェラーリ | 1'26"988 |
5位 |
エディー・チーバー | アロウズ・メガトロン | 1'27"660 |
6位 |
デレック・ワーウィック | アロウズ・メガトロン | 1'27"815 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
優勝 |
ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 1゚17'39"744 |
2位 |
ミケーレ・アルボレート | フェラーリ | 1゚17'40"246 |
3位 |
エディー・チーバー | アロウズ・メガトロン | 1゚18'15"276 |
4位 |
デレック・ワーウィック | アロウズ・メガトロン | 1゚18'15"858 |
5位 |
イワン・カペリ | マーチ・ジャッド | 1゚18'32"266 |
6位 |
テイリー・ブーツェン | ベネトン・フォード | 1゚18'39"622 |
10位 |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 49周、アクシデント完走扱い |
FL |
ミケーレ・アルボレート | フェラーリ | 1'29"070 |