1988年 オーストラリアGP


1988年10月28-30日
オーストラリア アデレード市街地コース

予選:PP(29回目) 決勝:2位


2週間前、セナは鈴鹿で涙の初王座を決め、新チャンピオンとしてオーストラリアに乗り込んできた。 実はレース1週間前にサッカーで右手首を痛めたということだが、レースに支障がなければいいが。

金曜日は右手首の痛みを感じながら、 ヘアピンでミスをしたということでプロスト(マクラーレン)に次いで2位。 土曜日はプロストと激しいトップタイムの応酬合戦になった。

残り4分になってセナがプロストのタイムを上回りトップタイム。 プロストも負けじと残り2分で再逆転。 これで勝負あったかにも見えたが、セナはスーパーラップでチェッカーフラッグが振り下ろされると同時に 再びプロストを上回った。

セナには右手首の痛みに加えてミッショントラブルでスペアカーで走らざるを得ないという悪条件だったが、 そんな不利な状況を自らの腕と精神力で克服した。 セナのPPは今シーズン13回目。 それまでのシーズンPP記録の9回を大きく上回った。

決勝レースではスタートでプロストに先行され、 3周目にはガス欠覚悟でマクラーレン勢に勝負を挑んできたベルガー(フェラーリ)にも抜かれ3位に落ちる。 気合の入ったベルガーは14周目にプロストをも捕らえトップに躍り出るが、 26周目にアルヌー(リジェ)を周回遅れにしようとしたときにクラッシュし、レースを離脱している。

ベルガー脱落後、セナはプロストと同じペース、同じ数秒の間隔で2位を走行する。 しかし次第にギアボックスが不調になってきた。 セナはやむを得ずペースを落とし、完走することを優先する。 プロストとの差は広がっていったが、大事に大事にマシンをコントロールしゴールまで導き、 88年を2位で締めくくった。

マクラーレンチームとしては16戦15勝、15PPという素晴らしい金字塔を打ち立てた。 無駄のないスマートなシャシー、強力なエンジン、当代最高の2人のドライバー… すべての要素が最高で、高い次元で見事に噛み合った結果だった。

セナに速いマシンを与えたらどうなるのか…ロータス時代、そんなことをささやかれていたが、 その答えが88年に現実化した。 まだまだ荒削りなところも残っていたかもしれないが、 それでもすでに王座を2度も取り、 最も脂が乗ってるとも思われる33歳のプロストをチームメイトにしてチャンピオンになったことは、 とても価値の高いことだったと思う。

そしてこのレースはターボ時代最後のレースでもあった。 翌年以降、エンジンとともにシャシーの空力性能が重要視されるようになる。 デザイナー不足のマクラーレンは次第にマシンポテンシャルを失っていくが、 逆にセナのドライビングは一層研ぎ澄まされていった。 この後、F1は完全にセナを中心に回り、空前のF1ブームを作り上げていくのだった。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 アイルトン・セナ  マクラーレン・ホンダ  1'17"748
2位
 アラン・プロスト  マクラーレン・ホンダ  1'17"880
3位
 ナイジェル・マンセル  ウイリアムズ・ジャッド  1'19"427
4位
 ゲルハルト・ベルガー  フェラーリ  1'19"517
5位
 ネルソン・ピケ  ロータス・ホンダ  1'19"535
6位
 リカルド・パトレーゼ  ウイリアムズ・ジャッド  1'19"925


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 アラン・プロスト  マクラーレン・ホンダ  1゚53'14"676
2位
 アイルトン・セナ  マクラーレン・ホンダ  1゚53'51"463
3位
 ネルソン・ピケ  ロータス・ホンダ  1゚54'02"222
4位
 リカルド・パトレーゼ  ウイリアムズ・ジャッド  1゚54'34"764
5位
 テイリー・ブーツェン  ベネトン・フォード  1Lap
6位
 イワン・カペリ  マーチ・ジャッド  1Lap
 
     
FL
 アラン・プロスト  マクラーレン・ホンダ  1'21"216




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