1989年3月24-26日
ブラジル アウトドローモ・ネルソン・ピケ
セナはチャンピオンとしてカーナンバー1を誇らしげに掲げ、ブラジルに凱旋した。
この年までブラジルGPはピケの地元であるリオ・デ・ジャ・ネイロで開催されていたが、
翌年以降はセナの地元であるサンパウロへ。
ブラジルGPの変遷を見ても、ピケの時代からセナの時代へ変わりつつあることがわかる。 この1989年からレギュレーションが大きく変わった。 最大の変更点は、前年までターボエンジンと自然吸気(NA)エンジンの混在であったのが、 ターボが禁止され、3.5リッターの自然吸気(NA)エンジンに統一されたこと。 これはターボで絶対的なパワーを誇るホンダを止めるというのも要因の一つだったようだ。 強すぎると叩かれる…今も昔も変わらない、良くも悪くもF1の「伝統」である。 ホンダは自然吸気になっても常に最高のエンジンを供給し続けたが、 技術格差が出にくい自然吸気では年を追うごとにそのアドバンテージが小さくなっていった。 こうして「NA元年」が始まっていったが、予選では前年からの勢いそのままにセナが光る走りを見せる。 金曜予選こそクリアラップがなかなかとれず、 GP出走177戦目の新記録を樹立しようとしているパトレーゼ(ウイリアムズ) にトップタイムを奪われたものの、 土曜の最終予選ではパトレーゼを0.8秒上回るスーパーラップで指定席であるPPを奪い返した。 このままこの年もマクラーレンの圧勝になるのか? しかしそうは簡単には事は進まなかった。 決勝レースではセナは決してスタートに失敗したわけではなかったが、 それ以上に好ダッシュを決めた2位スタートのパトレーゼと3位スタートのベルガー(フェラーリ)に 挟まれるようにして1コーナーに侵入。 セナはイン側にいたベルガーと接触し、フロントノーズを破損。ズルズルと後退しピットに戻っていった。 セナはその後も3回のピットインを余儀なくされたが、最後まで走り切り2周遅れの11位でレースを終えた。 チームメイトのプロストも2位が精一杯で、前年16戦15勝の圧倒的な強さを誇ったマクラーレン・ホンダは 開幕戦で早くも敗れた。 優勝したのは、逆に前年全くいいところがなくこの年からフェラーリに乗る マンセルだったというところがおもしろい。 ちなみに、このレースでF1デビューしたハーバート(ベネトン)が、いきなり4位に入賞し周囲を驚かせた。 ハーバートはその人懐っこい性格から、 以後10年に渡りグランプリに欠かせないキャラクターとして愛されることになる。 セナのスタート直後の接触は、若さゆえの多少の無理があったのかもしれないが、 これも「誰よりも速く走る!」、「自分より前には行かせない!」という気持ちの現われだったような気がする。 このレースではその強い気持ちが悪い方向へ影響してしまったが、 その時々を完全燃焼するという純粋な「レーサーとしての闘志」 が多くの人々を惹きつけていったのだと思う。 セナはサバサバとした表情でサーキットを後にする。 その目はすでに次のレースを見ていた。 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
PP |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1'25"302 |
2位 |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1'26"172 |
3位 |
ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 1'26"271 |
4位 |
テイリー・ブーツェン | ウイリアムズ・ルノー | 1'26"459 |
5位 |
アラン・プロスト | マクラーレン・ホンダ | 1'26"620 |
6位 |
ナイジェル・マンセル | フェラーリ | 1'26"772 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
優勝 |
ナイジェル・マンセル | フェラーリ | 1゚38'58"744 |
2位 |
アラン・プロスト | マクラーレン・ホンダ | 1゚39'06"553 |
3位 |
マウリシオ・グージェルミン | マーチ・ジャッド | 1゚39'08"114 |
4位 |
ジョニー・ハーバート | ベネトン・フォード | 1゚39'09"237 |
5位 |
デレック・ワーウィック | アロウズ・フォード | 1゚39'16"610 |
6位 |
アレッサンドロ・ナニーニ | ベネトン・フォード | 1゚39'16"985 |
11位 |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 2Laps |
FL |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1'32"507 |