1989年4月21-23日
イタリア アウトドローモ・エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ(イモラ)
前年のポルトガルGPでのセナのプロストへの幅寄せ事件で二人の関係に一時緊張が走ったが、
このサンマリノで確執が表面化する。 予選は金曜日2番手ながら、土曜日には指定席のPPを獲得。決勝レースも無難にスタートを切るが、 4周目にあのタンブレロコーナーでフェラーリのベルガーがコースアウト。側壁を這うようにマシンをこすり、 クラッシュ自体は大きなものではなかったが、直後にフェラーリのマシンは炎に包まれた。 あと数秒~数十秒、救助が遅かったら危険な状況だったが、 ベルガーは火傷を負ったものの命にかかわることはなく一命を取り留めた。 レースは中断し、2回目のスタートではプロストが先に1コーナーを通過する。 セナはすぐにビルヌーブコーナーでプロストに並びかけ、トサの入り口でかわした。 セナはその後も、47周目にスピンするプロストを尻目に危なげないレース運びでこの年初優勝。 表彰台ではシャンパンの栓が抜けないセナを見て笑っていたプロストだが、 事件はすでに水面下で起きていた。 セナとプロストの間には、「スタートをうまく切った方が第1コーナーに先に侵入して 、無理な追い越しは止めよう」という趣旨の紳士協定があったようだ。 プロストは、自分が先にスタートしたにもかかわらずセナが協定を破ってすぐに抜いていったと主張。 表面的には、セナがこの紳士協定を破ったということになっているが、 セナは、プロストを抜いたのは第1コーナー後のストレート部で、プロストのスピードが伸びなかったのに加え、 スリップストリームで完全に自分の方が速かったので抜いたと主張。 どちらにしても協定に対する解釈の違いが、誤解を招き、二人の確執関係を決定的なものにした。 セナ・プロ冷戦時代の始まりである。 レース後プロストは怒り、記者会見をパスしてヘリコプターで帰っていった。 ちなみにこのことでプロストには5000ドルの罰金を科せられている。 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
PP |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1'26"010 |
2位 |
アラン・プロスト | マクラーレン・ホンダ | 1'26"235 |
3位 |
ナイジェル・マンセル | フェラーリ | 1'27"652 |
4位 |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1'27"920 |
5位 |
ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 1'28"089 |
6位 |
テイリー・ブーツェン | ウイリアムズ・ルノー | 1'28"308 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
優勝 |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1゚26'51"245 |
2位 |
アラン・プロスト | マクラーレン・ホンダ | 1゚27'31"470 |
3位 |
アレッサンドロ・ナニーニ | ベネトン・フォード | 1Lap |
4位 |
テイリー・ブーツェン | ウイリアムズ・ルノー | 1Lap |
5位 |
デレック・ワーウィック | アロウズ・フォード | 1Lap |
6位 |
ジョナサン・パーマー | ティレル・フォード | 1Lap |
FL |
アラン・プロスト | マクラーレン・ホンダ | 1'26"795 |