1989年5月26-28日
メキシコ アウトドローモ・エルマノス・ロドリゲス
89年F1シーズンも序盤戦を終え、このメキシコGPから、アメリカ(フェニックス)、カナダと、
「北米大陸シリーズ」が始まる。
メキシコGPが開催されるアウトドローモ・エルマノス・ロドリゲスは標高2240mにあり空気が薄く、
また路面もバンピーで滑りやすい。 空気が薄いとエンジンパワーが低下し、その分ウイングを小さくするなどダウンフォース(マシンを地面に押さえつける力) を減らして走らなければならない。 しかしこのコースの路面状況を考えると、ダウンフォースを減らすことは大きなリスクを負うことにもなる。 セナはこのコース環境の中でも果敢に攻めていく。 金曜・土曜共に最速でチームメイトの2位プロストにも0.9秒の差をつけてPPを決めた。 これで60年代の天才 ジム・クラークの通算PP記録(33回)に並び、 また7戦連続PPは自らが持つF1タイ記録を更新した。 決勝レースではスタート直後に複数のマシンがスピンオフし赤旗中断、やり直し。 2度目のスタートでレースが始まり、セナが好ダッシュを決めて、これにプロストが続いた。 マクラーレン・ホンダの2人は3位以下を大きく引き離してレースをリードしていく。 しかしこのセナとプロストも、セッティングに大きな違いがあった。 プロストが4輪すべてを軟らかめのCタイヤを装着していたのに対し、 セナは左に硬めのBタイヤ、右に軟らかめのCタイヤを選択し装着していた。 この違いがすぐにタイムとして現われ、セナはプロストをも引き離していく。 プロストは自らの判断が間違っていたことを認識し、20周目にピットイン。 セナと同じようなタイヤチョイスを望んだが、不運は続くもので、 チームのミスで再び4輪Cタイヤでコースに戻ることになってしまった。 ペースを乱したプロストは5位に沈み、セナの独走はより完全なものになった。 セナを脅かすものはもはや誰もいなく、セナは確実な走りで周回を重ねていく。 結局セナは全周回1位で優勝し、3連勝を飾った。 「タイヤの選択が成功の鍵だった。一種妥協の産物だったけれど、ともかく僕のマシンにとっては正しい選択だった」 (「生涯 アイルトン・セナ」より) セナの速さの裏には、マシンの分析能力やセッティング能力がとても大きかったと思う。 コースのライン取りやギアチェンジなどの目に見えるドライビングテクニックと共に、 こうしたコース環境に最適に合わせたマシンを作り上げていく能力にも非常に優れていた。 セナはこれでプロストに7点の差をつけて単独ポイントリーダーに立った。 このままチャンピオンに向けて加速していきたいところだが、そう簡単には事は進まず、 この後セナにだけ不運なトラブルが続いていくのだった。 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
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PP |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1'17"876 |
2位 |
アラン・プロスト | マクラーレン・ホンダ | 1'18"773 |
3位 |
ナイジェル・マンセル | フェラーリ | 1'19"137 |
4位 |
イワン・カペリ | マーチ・ジャッド | 1'19"337 |
5位 |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1'19"656 |
6位 |
ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 1'19"835 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
優勝 |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1゚35'21"431 |
2位 |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1゚35'36"991 |
3位 |
ミケーレ・アルボレート | ティレル・フォード | 1゚35'52"685 |
4位 |
アレッサンドロ・ナニーニ | ベネトン・フォード | 1゚36'06"926 |
5位 |
アラン・プロスト | マクラーレン・ホンダ | 1゚36'17"544 |
6位 |
ガブリエール・タルキーニ | AGS・フォード | 1Lap |
FL |
ナイジェル・マンセル | フェラーリ | 1'20"420 |