1989年9月8-10日
イタリア アウトドローモ・ナツィオナーレ・ディ・モンツァ
モンツァの週末、プロストが翌シーズンのフェラーリ入りを発表した。
プロストは再三に渡って、
ホンダはセナに贔屓して性能のよいエンジンを提供しているなどと批判を繰り返していたが、
移籍の理由はホンダではなく、人間関係であるとはっきり言った。
もちろん人間関係とは、セナとの確執のことである。 プロストはフェラーリピットに赴き、新たにチームメイトになるマンセルと握手。 しかしこの2人も、1年も経たないうちに確執を生み、フェラーリもプロスト寄りになり、 マンセルは引退を決意することになる。(結局、引退宣言は撤回したが…) 翌シーズンのシートが決まりつつある一方で、 今シーズンのチャンピオンシップはこれからさらに熾烈を極める。 金曜予選では地元モンツァ、ティフォシの前で、フェラーリのベルガーとマンセルがトップ2を占めた。 セナは3位。ギアが入らなかったり、シケインでラインオーバーをしてしまったとはいうものの、 それ以上の理由がありそうだ。ストレートこそホンダエンジンを擁するマクラーレンが速いが、 コーナーではフェラーリに利があるようだ。 それでも土曜予選では2位ベルガーに1秒以上の大差をつけるスーパーラップでPPを奪取した。 ロン・デニスは、「これはみんな(チーム)ではなく、彼(セナ)が一人で勝ち取ったPPだ」 と語る一方で、 セナ自身は、「第1シケインで少しスライドして縁石に乗ってしまい、 あとは普通のラップだった」 と淡々としている。 セナの完璧への追求は果てしない。 決勝レースではセナが見事なスタートを切り、ベルガー、マンセル、プロストが続いた。 ベルガーはスタートからセナに喰らいつきプレッシャーを与えていたが、 周回を重ねるにつれて少しずつ離されていった。 セナとチャンピオンシップを争っているプロストはマンセルに行く手を阻まれていたが、 21周目にパスし3位へ。さらに41周目にはベルガーをも捕らえ、2位に浮上した。 その頃セナは20秒以上先を走っていた。レースは残り10周ちょっとになりこのままセナ独走かと思われたが、 残り8周となった45周目にエンジンにトラブルが発生し、同時にマシン側部から大量のオイルを噴出した。 セナはパラボリカで自らのオイルに乗ってスピンしながらマシンを止めた。 セナによると、5周くらい前から油圧の警告ランプが断続的につきはじめていたので、 エンジンの回転数を下げていたという。 優勝はコツコツと順位を上げていたプロストがさらい、セナとのポイント差を20点に広げた。 プロストは優勝トロフィーを群がるティフォシに投げやった。 それは翌年のフェラーリ移籍を受けて、ティフォシへのあいさつにも見えた。 心の中ではすでにフェラーリの一員なのか。 これでプロストはセナだけでなく、マクラーレンチームとの亀裂も決定的になった。 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
PP |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1'23"720 |
2位 |
ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 1'24"734 |
3位 |
ナイジェル・マンセル | フェラーリ | 1'24"739 |
4位 |
アラン・プロスト | マクラーレン・ホンダ | 1'25"510 |
5位 |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1'25"545 |
6位 |
テイリー・ブーツェン | ウイリアムズ・ルノー | 1'26"155 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
優勝 |
アラン・プロスト | マクラーレン・ホンダ | 1゚19'27"550 |
2位 |
ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 1゚19'34"876 |
3位 |
テイリー・ブーツェン | ウイリアムズ・ルノー | 1゚19'42"525 |
4位 |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1゚20'06"272 |
5位 |
ジャン・アレジ | ティレル・フォード | 1Lap |
6位 |
マーティン・ブランドル | ブラバム・ジャッド | 1Lap |
リタイア |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 44周、エンジン |
FL |
アラン・プロスト | マクラーレン・ホンダ | 1'28"107 |