日本GP開幕を前にしてF1界に衝撃的なニュースが流れた。
10月12日、アレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン)がヘリコプターの墜落事故に遭ったのだ。
ナニーニは命には別状がなかったが、右腕を切断。
縫合手術に成功し順調に回復すると、下位カテゴリーのレースやフェラーリが特別に用意したテストに参加したりもしたが、
F1の第一線に戻ってくることはなかった。 ナニーニは、前年の鈴鹿でセナ失格に伴い繰り上げ優勝するなど実力派。 ピケからベネトンのエースを継ぐのは誰もがナニーニと認めていたので、その事故が悔やまれた。 現在ナニーニは東京・新橋のイタリアンレストランを経営するなど、活躍の場を広げている。 ナニーニの後にはピケのブラジルの後輩、ロベルト・モレノがベネトンのシートに座った。
金曜午前のフリー走行でセナはまだ滑りやすい路面でスピン。 午後の予選になると、4速から5速に変えるときにマシンの底が路面についてしまい、横滑りするなどしてタイムロス。 このセッション3位だったが、マシンの全体的な調子はいいようだ。 そして土曜日の最終予選、セナとプロスト、マクラーレンとフェラーリの戦いは最高潮に達した。 予選開始20分を過ぎた頃にマンセル(フェラーリ)が金曜のセナのタイムを破る1'38"742。 これを見たセナもピットアウトしアタック。一気に1.2秒も更新する1'37"541をマークし暫定トップに躍り出た。 ベルガー(マクラーレン)とプロストもこの後にアタックするが、38秒台序盤に来るのが精一杯。 1本目のアタックを終えて、セナ、ベルガー、プロスト、マンセルの順。 順位が落ち着くと、再び最初にマンセルが動きセナのタイムに0.2秒差と肉薄。 予選終了10分を切った頃から上位陣が相次いでコース上へ。 セナを援護したいベルガーはタイムアップならず。 そして残り5分でセナがゆっくりとピットを離れる。サーキットはセナの走りに注目した。 そして完璧なラップは自らのタイムをさらに0.5秒近く縮める1'36"996でPP。 プロストも負けじと最後の最後でセナの0.2秒差につけ、決勝レースへの気合を見せた。 予選終了後、マクラーレンのピットではホンダの創設者、本田宗一郎氏がセナの帰りを待っていた。 そして本田氏はセナを見つけると肩をポンポンとたたきながら「ナンバーワン、ありがと!」と満面の笑みで出迎えた。 言葉は通じなかったが、この2人は心で通じ合っていたような気がする。 世界に挑み、頂点を目指していた2人だからわかる想い…。 セナは本田氏と穏やかに再会し感激する一方で、PPの位置を巡ってピリピリすることとなる。 セナはベルガーと共に予選が始まる前にオフィシャルに「PPの位置を変更して欲しい」と訴え、了承された。 鈴鹿のインコースは埃が溜まりやすくスリッピーで、セナは過去2度もこのグリッドからスタートに失敗していたのだ。 しかし予選終了後になってFISA会長のバレストルが、PPの位置を変えないように指示したという。 セナはこのとき、「それならば自分のラインは譲らない。その結果どうなっても知らない。」 といった意味の言葉を残していったという…。 日曜日になると、セナの精神はさらに高ぶっていた。 朝のブリーフィング(打ち合わせ会議)でピケが、 前年の鈴鹿でセナがシケインショートカットで失格になった件を擁護し、 「コースオフした時にシケインを逆戻りしたらよけい危険だ」、と訴えた。 セナは「昨年のことは本当にバカげていた…」と怒りに満ちながら退席。 PPの位置とともにセナのフラストレーションは爆発寸前だった。 こうしてセナはいつも以上に興奮状態でレースを迎えることになった。 そしてグリーンランプは灯った。 案の定、レコードライン上でグリップがいい予選2位のプロストが好ダッシュを決めて、 セナはスタートに失敗したわけではないが少し出遅れた。 プロストはセナのラインを封じようとインに寄るが、次の瞬間に少しだけアウト側に方向を変えた。 そこにわずかなスペースが発生し、セナはそこに飛び込んでいった。 1コーナーへの侵入に向けて2人のスペースはどんどん狭くなり、2人のラインは交錯した。 スタートしてから7秒、セナとプロストの主役2人は鈴鹿のランオフエリアで砂煙の中にいた。 この瞬間、セナの2度目のチャンピオンが決まった。 セナもプロストもマシンから降りて、一定の距離を置いて淡々と歩いてピットに帰っていった。 セナは「2人が通過するスペースがなかった。もう少しスペースを開けてくれれば問題なかった」と報道陣に説明。 これで2年連続して後味の悪い王座決定となってしまった。 翌91年にセナがチャンピオンを決めた後、90年のアクシデントについてセナ自身から説明があった。 世間的には、セナがわざとプロストにぶつけたと告白した、いった解釈がなされているが、 実際にはセナはPPの位置をめぐってバレストルと対立し、 「自らのラインを譲らなかっただけであり、アランに故意に衝突したわけではない」、と主張していた。 (「AUTOCOURSE F1グランプリ年鑑 1991-92」 P187に詳細あり) 様々な解釈があるが、私は、89年のシケイン不通過による失格や90年のPPの位置変更をめぐる問題等、 様々な拭い去れない深い想いがあのようなアクシデントにつながったのだと思う。 少なくとも、セナがただ単純にチャンピオンを獲りたいから、プロストに仕返ししたいからといった 浅はかな理由からクラッシュさせたのではなかったのだと思う。
そして鈴木 亜久里が日本人初の3位表彰台。中嶋 悟も厳しいピレリタイヤで好走を見せ6位入賞。 セナとプロストはあっという間にレースが終わり残念だったが、 その分日本人の2人がアグレッシブな走りで魅せてくれた。 こうして日本GPは多くの感動と様々な問題を残しつつ終わった。 セナとプロストの接触は残念だったが、逆に言うとあれほど張り詰めた緊張感、 意地と意地のぶつかり合いはとても貴重な瞬間だったのかもしれない。 後に翌91年から鈴鹿のPPの位置はレコードライン上のアウト側になると発表されたが、 皮肉なことに91年以降セナは鈴鹿でPPからスタートすることはなかった。 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
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PP |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1'36"996 |
2位 |
アラン・プロスト | フェラーリ | 1'37"228 |
3位 |
ナイジェル・マンセル | フェラーリ | 1'37"719 |
4位 |
ゲルハルト・ベルガー | マクラーレン・ホンダ | 1'38"118 |
5位 |
テイリー・ブーツェン | ウイリアムズ・ルノー | 1'39"324 |
6位 |
ネルソン・ピケ | ベネトン・フォード | 1'40"049 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
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優勝 |
ネルソン・ピケ | ベネトン・フォード | 1゚34'36"824 |
2位 |
ロベルト・モレノ | ベネトン・フォード | 1゚34'44"047 |
3位 |
鈴木 亜久里 | ローラ・ランボルギーニ | 1゚34'59"293 |
4位 |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1゚35'13"082 |
5位 |
テイリー・ブーツェン | ウイリアムズ・ルノー | 1゚35'23"708 |
6位 |
中嶋 悟 | ティレル・フォード | 1゚35'49"174 |
リタイア |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 0周、アクシデント、2度目の王座 |
FL |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1'44"233 |