1991年 イタリアGP


1991年9月6-8日
イタリア アウトドローモ・ナツィオナーレ・ディ・モンツァ

予選:PP(59回目) 決勝:2位


前戦ベルギーでジョーダンから衝撃のデビューを果たしたシューマッハーは、 ここイタリアではベネトンの黄色いスーツを着ていた。 ベネトンは、ベルギーGPで4位入賞しファステストラップまで記録したモレノを一方的に解雇し、 ジョーダンからシューマッハーを「奪った」のだ。

ドライバーの人権を無視し、商品のように扱う… これにはセナをはじめ多くのドライバーや関係者から非難の声が上がった。 この問題は弁護士やスポンサーなども巻き込んだ法的闘争にまで発展するが、 結局はモレノがジョーダンに移ることで落ち着く。

モレノは実力が認められながらも長年チームに恵まれず、 1990年日本GPでナニーニの代役でベネトンで2位入賞を果たし、 91年にはレギュラーを獲得し運が向いてきたと思われる矢先だった。 モレノは翌年以降は再び弱小チームを渡り歩き、以降入賞することなくF1から去っていくことになる。 しかしCARTシリーズでは優勝を記録するなど、 地味ではあるが通好みの実力者であった。

チャンピオンシップはハンガリー、ベルギーとセナが連勝し、マンセルとの差を22点に広げた。 マクラーレン・ホンダは必死の改良で、コース特性によってはセナの腕で対抗できるほどにはなってきたが、 マシンの総合性能ではまだウイリアムズ・ルノーに分があるようだ。 モンツァでも予選から白熱した接近戦が展開される。

金曜予選ではセナがマンセル(ウイリアムズ)に0.2秒差でトップタイム。 土曜日は気温が上昇し大幅なタイムアップは望めない状況。 それでもマンセルは果敢に攻めて金曜日の自らのタイムを更新。 土曜だけではセナに0.002秒差まで肉薄した。

セナもタイムアップを試みたが、アタックを終えたマンセルに引っかかった。 マンセルはフェアに道を譲ってくれたが、セナは気持ち少しアクセルを緩めざるを得ず0.2秒はロスしたと言う。 それでも僅差ながら金曜・土曜ともにトップタイムで3戦連続のPPを獲得した。

決勝レースでは大きな混乱なく各車無難なスタートを切り、 セナはマンセルを従えてレースをリードしていく。 そして7周目、パトレーゼ(ウイリアムズ)がベルガー(マクラーレン)を抜き3位に浮上し、 マンセル援護に向かう。一方ベルガーは度重なるミスでセナの援護ができない状況で、 セナは1人でウイリアムズの2人を相手にしなければならなかった。

マンセルがセナの背後につき、プレッシャーを与え続ける。 いつもならば強引にでも抜きにかかるマンセルであるが、この日は違っていた。 セナのタイヤの磨耗を誘発させるように、じっくり、じっくりと攻め続けた。 さらにマンセルは19周目にパトレーゼを先に行かせてセナにプレッシャーを与えさせ、自らはタイヤ温存に努めた。 ウイリアムズの2人はマンセル優先でレースを進めていたが、 決してポイントの高い方を単純に先に行かせるといったチームオーダーではなく、 チームとして総力戦で戦っているように感じた。

タイヤが傷みマシンのバランスが悪化したセナに、パトレーゼは26周目に襲いかかった。 セナは特に抵抗することなくパトレーゼにトップの座を譲った。 しかしそのパトレーゼは次の周でギアボックスのトラブルからスピンし、結局レースをリタイアしている。

再びトップに返り咲いたセナだったが、 今度はタイヤを温存し出番を待っていた千両役者・マンセルがセナに襲いかかる。 セナも必死に絶妙なライン取りでマンセルを抑えようとするが、タイヤは限界に達していた。 34周目、マンセルはセナをとらえ、セナはそのままタイヤ交換のためピットに向かった。

コースに復帰するとセナは5位に落ちていた。 しかしここから少しでもポイントを稼ぐべく、全力疾走を開始する。 37周目にはシューマッハー、41周目にはベルガー、46周目にはプロスト(フェラーリ)をかわし2位に浮上。 プロストとはドイツGPで発生したような問題はなく、 セナの方が明らかにペースが速いことがわかると、プロストは必要以上の抵抗はせず、 すんなりとセナを先に行かせた。

レースはマンセルがセナ攻略後も無難に走りきり通算20勝目。 良い意味でマンセル"らしくない"レースだったかもしれないが、これもベストレースの一つだったと思う。 2位セナは、マンセルに抜かれた後のタイヤ交換の判断とその後の素晴らしい走りで貴重な6ポイントを得た。 3位にはプロストが入り、 表彰台には80年代中盤~90年代序盤にかけてF1を盛り上げてきた役者達がそろった。 しかしこのスリーショットも結果的にこのレースが最後になってしまった。

またこのレースではピケ(ベネトン)が通算200戦目を迎え6位入賞したが、 新たなチームメイトのシューマッハーは予選・決勝ともに大ベテランのピケを上回り、 F1参戦2戦目にして5位で初入賞を飾った。 今考えると、このレースが世代交代の始まりだったのかもしれない。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 アイルトン・セナ  マクラーレン・ホンダ  1'21"114
2位
 ナイジェル・マンセル  ウイリアムズ・ルノー  1'21"247
3位
 ゲルハルト・ベルガー  マクラーレン・ホンダ  1'21"346
4位
 リカルド・パトレーゼ  ウイリアムズ・ルノー  1'21"372
5位
 アラン・プロスト  フェラーリ  1'21"825
6位
 ジャン・アレジ  フェラーリ  1'21"890


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 ナイジェル・マンセル  ウイリアムズ・ルノー  1゚17'54"319
2位
 アイルトン・セナ  マクラーレン・ホンダ  1゚18'10"581
3位
 アラン・プロスト  フェラーリ  1゚18'11"148
4位
 ゲルハルト・ベルガー  マクラーレン・ホンダ  1゚18'22"038
5位
 ミハエル・シューマッハー  ベネトン・フォード  1゚18'28"782
6位
 ネルソン・ピケ  ベネトン・フォード  1゚18'39"919
 
     
FL
 アイルトン・セナ  マクラーレン・ホンダ  1'26"061




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