1992年7月10-12日
イギリス シルバーストン サーキット
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シリーズも半分を消化しここイギリスから後半戦に突入する。
モナコ、カナダとマクラーレンが連勝し流れが変わるのかとも期待されたが、
ヨーロッパラウンドに入ってフランスで再びウイリアムズ勢に引き離され、
ここイギリスでその差が決定的になってしまう。 金曜日からウイリアムズのマンセルが今まで以上のぶっちぎりの速さ。 特にマゴッツ‐ベケッツ‐チャペルと続く複合コーナーが、 俊敏なアクティブサスとマンセルの反射神経が相まって見事な走り。 チームメイトのパトレーゼにも2秒近い差をつけた。 セナは3位ながらマンセルから2.7秒も離された。 そして土曜日はコースに霧雨が落ち、金曜の結果がそのまま予選順位になった。 決勝レースでは6位グリッドのブランドル(ベネトン)が好スタートを決め、 ウイリアムズに続く3位にジャンプアップした。 セナはブランドルとシューマッハーのベネトン2台に挟まれるようにして4位を走行。 すぐに3位を奪還できるかと思われたが、満タン状態のベネトンの動きは良く、 逆にマクラーレンは動きが鈍くなかなかブランドルを抜くことができない。 セナとブランドルはイギリスF3時代のライバル。 そして奇しくもその舞台だったシルバーストンでかつての戦いがよみがえった。 セナはブランドルに果敢に攻めるが、ブランドルも意地を見せる。 この戦いはレース終盤まで繰り広げられる。 レースも終盤になり、マクラーレンのマシンの動きもよくなってきた。 セナは諦めずブランドルにプレッシャーを与え続け、タイミングを待っていた。 そして残り6周となったところでようやくブランドルをパスし3位に浮上した。 しかしその直後、セナのマシンはギアボックストラブルでスローダウンし、コース脇に止まってしまった。 レース結果は残念なものになってしまったが、セナは純粋にブランドルとのバトルを楽しんだようだ。 レースはマンセルが誰も寄せ付けない独走。 全セッション、全周回1位、FLも記録して完全勝利。 地元イギリスで、マンセルのマンセルによるマンセルのためのレースだった。 セナとバトルを繰り広げたイギリス人ブランドルも3位に入り、故郷に錦を飾った。 マクラーレンはウイリアムズを追いかけるどころか、 コース特性によってはベネトンと同等の力しか発揮できなかった。 そして何より、マクラーレンの真骨頂であるマシンの信頼性が崩れていた。 それでもセナはわずかな可能性を信じて、常に全力・限界ギリギリで走っていくのだった。 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
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PP |
ナイジェル・マンセル | ウイリアムズ・ルノー | 1'18"965 |
2位 |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1'20"884 |
3位 |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1'21"706 |
4位 |
ミハエル・シューマッハー | ベネトン・フォード | 1'22"066 |
5位 |
ゲルハルト・ベルガー | マクラーレン・ホンダ | 1'22"296 |
6位 |
マーティン・ブランドル | ベネトン・フォード | 1'23"489 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
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優勝 |
ナイジェル・マンセル | ウイリアムズ・ルノー | 1゚25'42"991 |
2位 |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1゚26'22"085 |
3位 |
マーティン・ブランドル | ベネトン・フォード | 1゚26'31"386 |
4位 |
ミハエル・シューマッハー | ベネトン・フォード | 1゚26'36"258 |
5位 |
ゲルハルト・ベルガー | マクラーレン・ホンダ | 1゚26'38"786 |
6位 |
ミカ・ハッキネン | ロータス・フォード | 1゚27'03"129 |
リタイア |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 52周、ギアボックス |
FL |
ナイジェル・マンセル | ウイリアムズ・ルノー | 1'22"539 |