1992年7月24-26日
ドイツ ホッケンハイムリンク
ストレートが長いホッケンハイムリンクでは、強力なホンダエンジンを擁するマクラーレン勢が差を詰める、
もしくは優位に立つのではという予想もあった。セナは金曜の午前、午後ともにマンセルに次いで2番手だったが、
土曜日にはパトレーゼに2番手を奪われた。ホンダエンジンとセナの腕をもってしても、
ウイリアムズ・ルノーの総合パッケージにはかなわない、それほどこの年のウイリアムズは別格だった。 スタート直後、マンセルは加速が鈍りパトレーゼの後ろに入るが、第1シケイン前であっさりパス。 この後もいつものようにマンセル独走かに思われた。しかしマンセルは14周目にタイヤの異常を(パンクチャーセンサーが)感じ、 タイヤ交換のためピットイン、2番手走行のセナの数秒後でコース復帰する。マンセルはジリジリとセナに迫り、そしてあっという間にセナのテールをとらえた。 しかし、何度も並びかけるものの、セナの絶妙なライン取りとマシンコントロールで抜くまでには至らない。 19周目のオスト・シケインではマンセルらしい?コース直進。 セナは長いレースを考えてこの後マンセルにサインを送り先に行かせる。セナはタイヤ無交換で走りきろうと考えていたのだ。 パトレーゼは20周目にタイヤ交換し4位に落ちるが33周目に3位走行のシューマッハーをパス、 ファステストラップをたたき出しながら2位のセナに迫る。そして残り数周というところでパトレーゼはセナの後ろにつく。 セナはCタイヤ(決勝用柔らかめのタイヤ)を大切にいたわりながら走ってきた。 パトレーゼはタイヤを1度交換しており、すぐにセナを抜けるとも思われたが、セナはギリギリのところで超人技のブロックで パトレーゼの攻撃をかわしていく。 そしてついにパトレーゼはファイナルラップに勝負をかける。スタジアムセクション前のアジップ・カーブで 思い切ってセナのインに飛び込むが、セナは少しアウトに膨らんでからアウトラインギリギリでコーナーを通過。 限界を超えていたパトレーゼはスピン・コースアウト。 結局、1位マンセルの4秒差で2位表彰台。 マンセルのシケインショートカットにペナルティーが課せられていたら、優勝も十分ありえた。 2位とはいえ、マンセル、そしてパトレーゼとのバトルは、 セナのベストレースの1つに数えられるほど素晴らしいものだった。 セナもパトレーゼも「フェアな戦いだった」と称えあった。 このころのドライバー間には尊敬の念に似たある種の信頼関係がある。 セナのブロックは、絶妙なライン取りとマシンコントロールによるもので、 露骨にライバルの進路の前に出て邪魔をするようなものではなかった。 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
PP |
ナイジェル・マンセル | ウイリアムズ・ルノー | 1'37"960 |
2位 |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1'38"310 |
3位 |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1'39"106 |
4位 |
ゲルハルト・ベルガー | マクラーレン・ホンダ | 1'39"716 |
5位 |
ジャン・アレジ | フェラーリ | 1'40"959 |
6位 |
ミハエル・シューマッハー | ベネトン・フォード | 1'41"132 |
ドライバー |
チーム |
タイム・備考 |
|
優勝 |
ナイジェル・マンセル | ウイリアムズ・ルノー | 1゚18'22"032 |
2位 |
アイルトン・セナ | マクラーレン・ホンダ | 1゚18'26"532 |
3位 |
ミハエル・シューマッハー | ベネトン・フォード | 1゚18'56"494 |
4位 |
マーティン・ブランドル | ベネトン・フォード | 1゚18'58"991 |
5位 |
ジャン・アレジ | フェラーリ | 1゚19'34"639 |
6位 |
エリック・コマス | リジェ・ルノー | 1゚19'58"530 |
FL |
リカルド・パトレーゼ | ウイリアムズ・ルノー | 1'41"591 |