1993年 オーストラリアGP


1993年11月5-7日
オーストラリア アデレード市街地コース

予選:PP(62回目) 決勝:優勝(41回目)


苦戦が予想され1戦ごとの契約でスタートした93年シーズンも、 ふたを開けてみればセナがしばし伝説的なレースを繰り広げ、とうとう最終戦を迎えた。 長年のライバルであるプロスト(ウイリアムズ)はこのレースでF1を引退し、 セナにとってもマクラーレンでの最後のレースになる。

セナは前戦の鈴鹿で、周回遅れにもかかわらずセナになかなか進路を譲らなかったというアーバイン(ジョーダン)を 殴打しようとする騒ぎを起こし(実際には未遂)、後に執行猶予付きの3戦出場停止処分を受けることになる。 プロストの引退、アーバインとの一件、そしてマクラーレンとの別れ… 王座決定後の最終戦ではあるが、セナの緊張はいつも以上であったと予想された。

終盤戦に入って、マクラーレンの戦闘力は上昇傾向にあった。 中盤戦にあれだけ苦戦を強いられたが、今やベネトンを押さえ、ウイリアムズに迫る勢いがあった。 これも、セナのアドバイスによってマシンを改良し、シャシーの安定感が増したことが大きな要因だったという。

金曜予選からセナは好走を見せ、次々と自らのタイムを更新していく。 セナはコース上の渋滞に加え無線の調子が悪く、「ドライビングに集中できなかった」と言っていたが、 それでも最終的にプロストに0.5秒近い差をつけて暫定PP。 土曜日はコースコンディションが悪化し全体的にタイムアップならず、 セナがマクラーレン最後のレースで92年のカナダGP以来のPPを決めた。

日曜日の決勝レース前のグリッド上で、セナの感情はさらに高ぶっていく。 スタート30分前になってマクラーレンのチーム・コーディネーターでセナの親友でもあるジョー・ラミレスが、 感情を込めてセナに励ましの言葉を延々と語り続けたという。 さらには「このレースに勝ったら永遠にキミを愛し続ける」とも。 セナは「生まれて初めてグリッド上で涙を流し、集中するのは難しかった」と自身の手記に記している。 しかしセナはこの感情を「勝ちたい!」という意志に変え、レースに臨んでいった。

集中しようとするセナに新たな問題が降りかかる。 フォーメーションラップが終わりスタート直前になったところで、片山右京(ティレル)がエンジンをストールさせやり直し。 2度目のスタート直前には、今度はアーバインが自身のグリッドラインよりもだいぶ前でマシンを停止させたとして、これもやり直しに。 この2度のスタートやり直しで、セナはバッテリーの低下を心配していた。 しかしセナはバッテリーの交換・チェックをせず、あえてそのままの状態でレースをすることにした。

3度目のスタートはきれいに決まった。 セナは隣のプロストと後ろから迫るヒル(ウイリアムズ)を牽制しつつ、第1コーナーを守っていった。 セナはその後、レース前の緊張と心配を忘れたかのような快走を見せ、ジリジリと後続との差を広げていった。 極限の精神状態を、逆に自らの力に換えてしまうところがセナの偉大なところの一つだと思う。

レース序盤はセナのペースの方が速かったが、 周回を重ねアスファルトが加熱しタイヤが磨耗してくると、逆にプロストが少しずつセナに迫っていった。 一時は5秒以上あったセナとプロストの差も22周目には2秒台にまで縮まった。 セナは23周目にタイヤ交換のためにピットインし、一旦2位に落ちた。

実はセナの無線には、プロストがすでにピットインしたという誤情報が流れていたという。 しかし実際にはプロストは1セット目のタイヤで走り続けており、セナの戦略は狂った。 セナはすぐに気を取り直し、ペースを上げてプロストのタイヤ交換時の逆転を狙っていた。

そして28周目、プロストはタイヤ交換のためピットへ。 プロストがコース上へ戻ると、セナはすでに数秒前を走り抜けていた。 セナにはPPから先行逃げ切りの勝ちパターンという印象が強いが、 ピット戦略や頭脳的なレース展開にも長けていた。

1度目のタイヤ交換を終えると、再びセナがプロスト以下を引き離していった。 セナを追うはずのプロストは逆に3位ヒルに追い上げられる形となり、セナの独走が決まった。 路面温度は上昇しタイヤに厳しく、中盤には各車2度目のピットイン。 セナは55周目にピットに入り、ピットクルーは5.02秒でセナを送り出し、18秒のリードを保ったままコースに戻った。 セナのために何度も見せたマクラーレンのピットクルーの「イリュージョン」もこれが最後…。

終盤はマシンをいたわり、後続との差をコントロールしながら周回を重ねていく。 それは同時にマクラーレンでの残り少ない時間をいつくしんでいるようにも見えた。 セナは最後まで気を緩めることなくマシンをゴールまで導き、ガッツポーズを見せながらトップチェッカーを受けた。 苦戦が予想されたシーズンで5勝目。それもすべてが自らの腕で勝ち取ったものだった。 そしてマクラーレンでの最後のレースで、フェラーリを抜くチーム最多の通算104勝目をプレゼントした。



ウイニングランを終えた後、セナはパルクフェルメ(車両保管所)に戻ってきた。 そこにはロン・デニスが待ち構えていた。 デニスはセナに暖かい言葉をかける。 セナはマシンを降りると、デニスの肩を何度も叩いて感謝の気持ちを表した。 時には契約などでもめた2人だったが、とても強い絆で結ばれているように感じた。 そしてデニスはこの時、セナにプロストと仲直りするように促す。

隣にはプロストのマシンもパルクフェルメに戻っていた。 デニスはプロストにも歩み寄り、引退するプロストの労をねぎらった。 プロストもかつてマクラーレンでデニスと共に戦い、何度も栄光を手にしてきた。 デニスもセナのときと同じように、仲直りを促したと思われる。

表彰台へ向かう途中で、セナはプロストを待ち構えていた。 まずは94年のチームメイトになる3位ヒルと握手。 そして続いてやってきたプロストにセナは手を差し出した。 プロストはその握手に笑顔で応えた。

表彰台で最初に動いたのはプロストだった。 セナの腰をポンと軽く叩き、握手。次はセナが握手したままプロストを表彰台の中央に引き上げた。 セナ、プロスト、ヒルが表彰台の中央でスクラムを組む。 引退するプロストにとっては、当然、最後の表彰台。 と同時に、結果的にセナにとっても最後の優勝、最後の表彰台での笑顔になってしまった。

もっともっと、素晴らしいレースができたはずなのに…。
もっともっと、栄光が待っていたはずなのに…。



こうして80年代中盤から続いた、セナ・プロスト時代は終わった。 今にして思うと、やはりセナにはプロストが必要だったのだと思う。 後にライバルになるであろうシューマッハーも十分強力ではあるが、 やはりいろいろな意味でセナの真のライバルはプロストしかいなかったのだと思う。

しかしセナはさらなる飛躍をめざし、新たなチームで新たな挑戦をしていくのだった。 セナがその先に見ていたものは、何だったのだろうか…。



予選結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
PP
 アイルトン・セナ  マクラーレン・フォード  1'13"371
2位
 アラン・プロスト  ウイリアムズ・ルノー  1'13"807
3位
 デイモン・ヒル  ウイリアムズ・ルノー  1'13"826
4位
 ミハエル・シューマッハー  ベネトン・フォード  1'14"098
5位
 ミカ・ハッキネン  マクラーレン・フォード  1'14"106
6位
 ゲルハルト・ベルガー  フェラーリ  1'14"194


決勝結果

 
ドライバー
チーム
タイム・備考
優勝
 アイルトン・セナ  マクラーレン・フォード  1゚43'27"476
2位
 アラン・プロスト  ウイリアムズ・ルノー  1゚43'36"735
3位
 デイモン・ヒル  ウイリアムズ・ルノー  1゚44'01"378
4位
 ジャン・アレジ  フェラーリ  1Lap
5位
 ゲルハルト・ベルガー  フェラーリ  1Lap
6位
 マーティン・ブランドル  リジェ・ルノー  1Lap
 
     
FL
 デイモン・ヒル  ウイリアムズ・ルノー  1'15"381




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