セナ没後30年特別企画

セナの隠れた名レースを掘り起こす



1. はじめに

2019年に没後25年特別企画として「セナのベストレースを考える」を掲載しました。 今回はベストレースのノミネートにはもれてしまいましたが、隠れた名レース・名シーンを独断と偏見で選びたいと思います。 「隠れた」とは書きましたが、どれもがF1史に残る名レースです。 もっともセナはほとんどのレースでマシンのポテンシャル以上の力を発揮して見せ場を作っていましたね。

今回は前回のベストレース候補にノミネートされている「BEST of BEST」のレースは除外しています。 併せて「セナのベストレースを考える」も見ていただきセナの思い出に浸っていただければと思います。



2. 隠れた名レース

1984年ポルトガルGP

中堅チームのトールマンでF1デビューした1年目。最終戦では予選・決勝とも3位に入る。 表彰台にはプロスト、ラウダ、セナ。チャンピオンの系譜がひとときポディウムで並んだ。


1985年ベルギーGP

モナコとともにドライバーの腕が試されるベルギー・スパ。 この年ロータスに移籍してすでに一発の速さを見せつけていたが、 ここベルギーでは的確な判断で優勝し、速いだけでなくレース巧者であることも証明する。


1987年モナコGP

マンセルの脱落により首位を奪取したが、セナもトラブルを抱えながらも未完のアクティブサスペンションのマシンを丁寧にゴールまで導いた。 モナコ初制覇であり、アクティブカーとしても初優勝。


1990年モナコGP

難コース・モナコで荒れたレースだったがセナだけは安定した走りで、 PP、FL、全周回1位で完全優勝を成し遂げる。


1991年日本GP

ベルガーに勝利を譲り賛否両論。当時はあまり深く感じていなかったが、 時が経つにつれてセナとベルガーの複雑な気持ちを推測できるようになった。 とはいえ久々のクリーンな王座決定。セナ3度目のチャンピオンでF1人気も最高潮に達した。


1991年オーストラリアGP

大雨の中のレース。 各車スピン・コースアウトが続出する中、セナだけは濡れた路面を泳ぐように疾走。 史上最短14周のレースでも、セナのドライビングの繊細さと雨での速さが垣間見えたレース。


1992年ドイツGP

同年のモナコGPとはまた違った高速コースでのウイリアムズ勢とのバトル。 セナの巧みでギリギリのライン取りで、マンセル、パトレーゼはたまらずコースアウトを喫する。 特にファイナルラップのパトレーゼとの攻防は絶妙。


1993年南アフリカGP

久々のセナ・プロストバトル。やはり役者が違う! パワーで勝るプロストをセナがブロック。ただし、 セナは露骨にブロックしているのではなく、うまいライン取りをしている。


1993年ブラジルGP

マシン的に劣勢のマクラーレン。さらに理不尽なイエローフラッグ無視のペナルティーで大きく後退するが、突然のスコール、そして初のセーフティーカー導入で大混乱。セナは素早く状況を判断し的確にレースを展開。地元ブラジルで奇跡の優勝を成し遂げた。 レース実況の三宅アナ「まさに奇跡、ミラクルウィン」


1993年カナダGP

オープニングラップでのアレジとのバトル。 セナとアレジの前輪・後輪が互い違いになったまま高速S字コーナーに侵入していったという凄まじいバトル。 アレジはのちに「相手がセナだったからできた」と語っている。


1993年オーストラリアGP

セナ・プロ最後の競演。目立ったバトルはなかったが、セナを語るうえで外せない一戦。 表彰台で和解し、セナにとっても最後の優勝となってしまった…。



3. セナ(ファン)的には残念だけど…名シーン

1986年ハンガリーGP

ピケと1コーナーの侵入でバトル。本当の意味でセナを抜いたのはこの時のピケだけだったと思う。 ピケの同郷の後輩に対する意地が見られた。


1988年ポルトガルGP

チャンピオン争いも佳境に入りセナとプロストが一気にヒートアップ! ホームストレートでサインボードに接触しそうなあの幅寄せは危険だったが、そこにセナの強い意思を感じ、 抜いたプロストに意地を感じた。


1991年スペインGP

ホームストレートから1コーナーにかけてマンセルとサイド・バイ・サイドは、お互いを信じていたからこそできるバトルだったように感じる。



4. 驚愕の予選アタック

1988年モナコGP

一人別次元で次々とタイムを更新していく…のちにセナはこのとき無意識に走っていたと語っている。 ゾーンに入ったような感覚だったのだろうか。プロストに1.4秒の差をつけた。


1989年日本GP

チャンピオンに向けて絶対に負けられないセナ。 初めて鈴鹿で1分40秒を切った全身全霊のスーパーラップ。 プロストは決勝重視とはいえ1.7秒の差をつけた。


1994年パシフィックGP

マシンが過敏で問題があり、低速コースにも合っていなかった。しかしそれでもPPを獲れたのはセナの腕の賜物。 私の記憶にあるセナの最後の予選アタック…。



5. おわりに

今回はリアルタイムで見ていた思い入れの強いレース(特に1993年)が多く入ってしまいました。 みなさんは自分だけの「セナのベストレース、名レース」はありますか? まだまだこんなもんじゃないし、逆に言うとセナはいつでも全力で限界ギリギリだったから、 どこをとっても名レースだったように思えます。 見逃しがちなセナの名レース、セナの凄いところをこれからも探していこうと思います。



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